2009年9月アーカイブ

いつの間にか

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 ヒガンバナが咲いていた。

 

 あれこれと些細なことに囚われて、心が内向きになったまま、室内に閉じこもることが多くなっていた。こうして数年が過ぎ去り、体にも心にも贅肉がついて、軽やかな発想も動きもできなくなっている自分に気づいた。

 なぜ囚われるのだろう。考えても仕方のないことに、なぜ執着するのだろう。過ぎてしまったことを「決着済み」として過去に閉じ込められないのは何故なんだろう。つくづく自分の性向がうらめしくなる。横着になりたい。切捨てることに罪悪感を持ち過ぎないようになりたい。それは必ずしも非道であったり冷血であったりすることではないのだから。自分が考えるほど周囲は弱くも可哀相でもなく、むしろ可哀相なのは自分だったのかもしれない。あれほど自分を犠牲にして相手のことばかりを慮ることはなかったんだと、後になってみれば分かる。だからかもしれない、クヨクヨイライラと過去の日々に囚われるのは。

 いつの間にか私も人生の終盤にさしかかり、ここいらで生き方を変えなくてはと、遅ればせながら真剣に考えるようになった。命をかけなくては人生観の転換は図れないのは、人間誰しも同じことだろう。どういう状況で命がかかるのかは人それぞれだが。

 自分の器量でまかなえる範囲で、自らの足で立ち生きてきた誇りを支えに、これからは毅然と凛々しく老いに向き合いたい。

 

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 ある日、遠くの枯れ木に一羽の鳥が止まっていた。長い時間、このままだった。気になって仕方がなく、デジカメの望遠を最大にして写した。この鳥は何を考えていたのだろう。

 この少し前に、自分より体の大きい鳥を追い掛け回し追い払ったやや小ぶり(カラス?)の鳥 の姿を見た。何かを守ろうとしたのか?

 自然には作意のないドラマがある。そして私もその自然の一部であることを感じる。人間のすることだって、愚かな作意や作為が一時的に通用したかに見えて実は何が不動の成功だったかは判らない。いや、それぞれの固体に100%待ち受ける消滅の日を考えれば「不動・不滅」の成功や幸福などありはしない。すべてはあるがままに。

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