沈黙は誰も救わない

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 昨夜からNHK総合TVで放送されている「NHKスペシャル:海軍400時間の証言」(22:00?23:00)を視聴している。太平洋戦争で主要な地位にあった元海軍将校たちの戦後30数年を経ての反省会の録音テープをもとに構成されている番組である。先の戦争に関しては、さまざまな評価や解説が識者によって為されてきたが、その当時実際に関わっていた人たちの言葉は生々しい事実を知らしめてくれる。参加者の平均年齢が70?80歳ということから、当事者自らによる振り返りが記録として残されるのはこれが最初で最後なのかもしれないと思いながら視ている。

 今夜は「悲劇の神風・人間魚雷 明かされた特攻の真実 なぜ若者たちは死地へ 将校の告白」がテーマ。
 決死の特攻は戦争の作戦として採用してはならないものだと皆知っていたのに特攻は始められ終戦まで止められる事はなかった。それはなぜなのかと問題提起する一人の元将校の発言に対して、30数年を経た反省会の席上で「あれは必要かつ有効な作戦であった」と確信もって意見を述べる人はもとより無い。実は、当時でさえ皆、特攻はすべきでないと考えていたようだ。
 では、なぜ特攻作戦は実行に移されたのだろう。そこに、組織の中で個人の発言が通りにくい、大勢や強い者の意見に逆らえないこの国の体質が見えてくる。そうなると大方の人は黙る。異論を胸に抱いていても、組織におけるわが身の不利益を考えると「沈黙」するのが一番の保身であるから。反省会テープの中で、その沈黙を一人の元将校は「やましい沈黙」と表現した。
 「やましい沈黙」は、日本を背負ってくれるはずだった若者たちをむざむざ死地に赴かせることになった。そして「やましい沈黙」をした上官たちもまた、生涯消えることの無い十字架を背負って生きたのだろう。だれも救われていない。

 国は人あってこそ成り立つものであれば、国の存続を考える時に一番重要視しなくてはならないのはそこに集う人々の『命の保障』であることが原則となる。そのことを無視した結果が特攻作戦実行であったと、番組は訴えたかったのだと受け止めた。

 戦後64年を経た現在、一見は何をしても何を言っても自由な風潮のように見えるこの国で、はたして「やましい沈黙」は無くなったのだろうか?残念ながら、私にはそうは思えない。言おうがしようが大したことではないことは皆勝手気ままにできるのだが、どうしても譲れない重要なことに関しての発言や行動は、いまだに「無言の圧力」がかかり「周囲からの孤立」という集団制裁が厳として存在すると感じている。

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このページは、tsuyuが2009年8月11日 00:32に書いたブログ記事です。

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