裁判員制度

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 いま一番怖いもの、それは裁判員制度。裁判員に選ばれることも、万が一に自分が冤罪の訴追を受ける身になったとしても、どちらも身のすくむような事柄であるとしか言いようが無い。法廷で判断を下した側も下された側も、そのことで、平穏だった日常に拭いようのない痛手を残すであろうことは、制度が始まる前から明白である。

 そもそも、裁判員制度とは誰がどのような経緯で発想し推進してきたのかが不明瞭である。裁判員制度の運用方法については多くのパンフレットやメディアや講習会開催などを通じて宣伝されているが、その発端を知っている一般市民はいないだろう。

 国の定める法律や制度でも、ゼロの状態から一(いち)を生じる為にはだれか一人の頭の中で考えが生まれたに違いない。それは誰だったのかと素人ながら考え辿って行くと、国の中枢機関が集中する国会周辺しかない。そこで日々机に向かって書類をさばいている人間のうちの誰かの頭の中に浮かんだアイディアが、やがては数千万から一億の国民の動きを制約し動かす絶対的根拠になっていく恐ろしさ。最初にアイディアを発想した人間がどこまでそのアイディアの与える影響を検証した後に、しかるべき場所へ提出してきたのか。それが知りたい。

 

 人間はもともと体を動かして労働し、その結果として食事にありつけるというシンプルな暮らしぶりだった。ところが、人口の増大と知的活動の進化や社会経済状況の変化から仕事の専門分化が進み、机に座って頭脳労働のみ繰り返す人間の "職務遂行の為の職務限定発想" が公(おおやけ)に及ぼす害が目に余るようになってきたように感じている。

 働けば食べることができる。食べることができれば命を保てる。保った命で永らえる時間をどのように何のために使うのか? そのことをそれぞれが、たまに立ち止まって内省してみないと、頭でっかちになってしまった現代は予想外の危険な舵取りを未来に向かってやってしまいそうだと、つくづく怖ろしく思っている。

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このページは、tsuyuが2009年5月17日 15:32に書いたブログ記事です。

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