2008年6月アーカイブ

小雨の日暮里駅ホームにて

|

nippori1.jpg こは成田空港に通じる京成ライナーへの乗り換え駅。山手線から常磐線に乗り換える駅でもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

nippori2.jpg

 

 の日は、京浜東北線が沿線火災の影響でダイヤが乱れていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

  日今日と所用で横浜へ行きました。駅構内から街のあちらこちらに警察官の姿が目立ち、「何事?事件が多発するので特別警戒か?」と思ったのですが、よくよく考えたらもうじきサミット開催でした。メインテーマは環境問題らしいのですが、他にもたくさんなおざりにしてある国内問題がありますよね。"お偉いさん"たちはそれらの問題をどーするんだろ・・・?

アカバナユウゲショウ群生

|

日、↓ 紹介しました「小さな花」の群生状況です。

 

kobanagunsei.jpg

 

悲惨、陰惨

| | コメント(2)

 昨年合併して我が市と同じ市になった地域で陰惨な一家4人殺害事件が発生した。病気がちだった77歳の男性が、妻と長男夫婦と4歳の孫をハンマーで滅多打ちにして殺害。殺意は過去に3回ばかり抱いたが、今回は早朝、体の調子が良かったので実行に移したと供述しているらしい。体調が良ければ気持は善良な方向に積極的になるものだと思っていたが・・・それは、単細胞な私の思い込みに過ぎなかったのか。

 

 く普通の隣人だと思っていた人物が凶行に及ぶ事例が目につくようになった。

 

 回の事件で、犯行に及んだ男が言うには「家族に邪魔者扱いされた」という理由を挙げているという。家庭内で何があったのか外部からはうかがい知れないが、孤独が人を凶行に奔らせた事件だったのか。

 

 因を特定できない犯罪が増えてきて、いま、誰がいつどこで被害にあっても不思議ではない様相を呈してきている。日々緊張を強いられる時代、みんな精神的にボロボロになってしまっているのかも知れない。

小さな花

| | コメント(5)

昼咲き月見草の小型のような野草。半日でしぼんでしまう。

pinkhana.jpg

雨の日は

|

外出がおっくうになる

灰色の空は

昼過ぎから泣き始め

夜半には大泣きになった amibana2ten.jpgのサムネール画像 

罪と罰

| | コメント(2)

 よそ20年前の連続幼女誘拐殺害事件の犯人、宮崎勤死刑囚の刑が実行されたと今日のニュースで報じられた。

 

 い先日6月5日の新聞から、私は、ある映画を取り上げた記事を切り抜いていた。題名は「休暇」。6月7日から全国公開されるとある。ごく限られた映画館でしか観られない映画のようだが、近隣に上映館があることがわかった。

 

 容は、「死刑執行の際、支え役を務めれば一週間の休暇を与える」という特別休暇を目当てに、シングルマザーとの結婚を控えた刑務官が絞首台の下で落ちてくる死刑囚の体を支える任務を志願するという話(「千葉日報」記事参照)。

 

 の映画の主人公が、一週間の特別休暇を自分の新しい門出の結婚式や新婚旅行や新居への引っ越しなどに当てようとしていただろうことは想像できる。任務を終えた彼がその後どうなったか・・・映画を観ていない私は、ここでそれを語ることはできないが、おそらく、幸せな気持ちで新生活準備に専念できるはずはないだろうと思う。

 

 たいというより観なければと思って記事を切り抜いたのだけれど、私はとうとうこの映画を観ずに終わりそうだ。話の概要を知っただけでも胸がドキドキするような恐怖感に襲われているから。

 

 の父は少年刑務所の刑務官だった。その為、ものごころついた頃から、折にふれ(十三階段)や(絞首刑)の話を聞かされて育った。おそらくは、幼い子供を怖がらせる為の脚色もあったと思うが、父の話に想像は膨らみ、死刑への恐怖は拭いようもないほどの恐怖として私の脳裏に焼き付けられている。大人になってから見聞する死刑にまつわる話と照らし合わせてみると、父の話はほぼ事実そのままであったことが分かる。

 

 を犯せば相当の罰がある。そのことは幼い私に重い枷となり、他人に後ろ指さされるような行為をしてはならない、他人に迷惑をかけてはいけないと自分自身を律しながら今日に至っている。

 

 刑に関しては、世界中で賛否両論がある。その執行方法に関してもまたしかり。もし私に「死刑をどう考えるか」と尋ねられても答えられないというのが正直なところ。

 

 りしも来年から一般人参加の裁判員制度が開始される。こちらの制度に関しても賛否両論があり、具体的な運用の方式は見えてこない。

 

 れからどうなるのだろうか、この国における『罪』と『罰』の周辺は。

地球規模の異変

| | コメント(2)

 のところ世界各地で大規模な自然災害が相次いでいます。ミャンマーのサイクロン被害、中国四川大地震、そして今回は日本でも。

 

 こ数年の間に世界中の人々の知るところとなった異変の数々もあります。アメリカのゴアさんが著した「不都合な真実」で一気に注目を浴びることになった地球温暖化による異変を、いよいよ身近に肌身で感じるようになってきたように思われます。

 

 極の氷が広範囲に融け始め、白熊は命の危機にさらされて絶滅の可能性が現実化。ヒマラヤ山脈の氷河が融けて湖を形成し、今よりさらに融氷がすすむと洪水を引き起こして麓のシェルパたちの村々が水没のおそれがあり、現在では研究者の手によって湖の水位の監視が為されている状況だとか。オーストラリアの砂漠化による農業の困難は日本の食糧事情にも影を投げかけているようです。

 

 こ日本でも、気象気候の変化は西から東へ移動すると思っていたものが、今年の梅雨入りは東が先行したり、西と東の天候の特徴が偏ってみたりしています。もともと南に生息するセミ(クマゼミでしたか?)が北上して発見されるケースが増えているとも聞きます。

 

 に諦めたり投げやりになっているわけではなく、そろそろ地球規模の大変動の時期に差し掛かったのかとも考えたりしています。

 

 史を遠く遡ると、地球規模の大変動が全くの絵空事で無いことは、過去を学習研究することのできる人間には理解できます。理解できるということが却って恐怖をもたらします。過去に絶滅した恐竜などの動物たちはそれぞれの身の危険にさらされて予めの恐怖を抱いたのでしょうか?彼らの心や感情が化石になって残るものだったなら、そうしたことを知りたいと思ったりします。

 

 の地球上に生きとし生けるものは全て「水と空気と土」によって生かされていると言っても過言ではないでしょう。それらを人の手でどうにかできると考えるのは人間の驕(おご)りではないでしょうか?

 

 り返し申しますが、私は決して諦めたり投げやりになったりしているわけではありません。しかし、我々が全てを依拠しているところの地球そのものの大変動に対しては残念ながら有効な手立てはないかも知れません。

 

 からこそ、翻って「いま・ここ・これら」を大切に暮さねばならないと、そんなことを考えるこのごろです。

隣の芝生

| | コメント(2)

 人が持っているものを羨むことを「隣の芝生は青く見える」とか「隣の花は赤い」とか表現しますが、本当に隣の芝生や花のほうが輝いているのでしょうか?

 

 まこの国は格差社会だと言われ、持てる者と持たざる者との差が大きく開いています。今朝もテレビで芦屋の豪邸区画を紹介していました。やれセレブ(この表現には嫌悪感を感じます)だ、やれ豪邸だとテレビや雑誌はやたら色鮮やかに紹介するのですが、その発想の根底には「物欲」「金銭欲」が透けて見え、下品この方なく思えて仕方がありません。

 

 こに住まう人が得意げな笑顔で登場したりするのですが、私にはどう見ても同じ人間としか映りません。要するに、命を保つために食べて寝て排泄する生き物の一個体としか思えないのです。

 

 ルーザーを持つことやフェラーリを乗り回すことやイタリアの本物大理石で家の床を埋め尽くすことは幸せの条件ですか?それは万人共通の普遍的な要件ですか?いずれも人間が使う道具の一つに過ぎないのではありませんか?違うのは支払う金の多寡でしょう。

 

 望は膨らませれば際限なく膨らみやすい性質がありそうです。そして、欲望の大きさと幸福の実感の真実とは釣り合わないように思います。

 

 始の人間は裸の暮らしから出発し、身を包むことを覚え、道具を操り始めて今日に至っています。その変化発達の歴史を追って考え、使用目的の同じ道具になぜ価値の差ができたのかを冷静に判断するならば、盲目的に他人の持てる財を羨まなくても良いことに気がつきます。

 

 てる人は持っていい。その一方で、持たざる選択もあるという矜持を持ちたいものです。持てないと考えるから不満に感じたり情けなくなったりするのであって、持たない気楽さを良しとする考え方もあって良いのではないでしょうか?

 

 く見える隣の芝生も赤く見える隣の花も永遠のものではないのですから、そんなに羨望の眼差しでじっと見つめなくても良いじゃあ?りませんか?

 

 者の開き直りと言われるかも知れませんが、私は、こういう開き直りを自分の生きる哲学にできるまで虚心に思考して行きたいと思います。

梅雨時の花

| | コメント(2)

「墨田の花火」という粋な名前をつけられたアジサイです。

 

shiroajisai2.jpg

 

 

虫食いのミニバラ。

minibara.jpg

 

ドクダミ三姉妹。

jyumonjiso.jpg

買い物に行った

|

 日は自宅近所のスーパーに買い物に行きます。その途中にある畑にネギが植えつけられていました。以前、農業ボランティアをした時に習ったネギの植え付け方を思い出します。

 

negi.jpg

 

 つも行く大型スーパーには置いていないのですが、自宅近所の小さなスーパーでなら買えるトマトです。宮崎産です。これが甘くて美味しい。東国原知事も宮崎もがんばっているなあ?、と思わせる一品です。今、私はトマトにはまっています。この「宮崎ルビートマト」は1パック298円です。おやつ代わりにつまんでいます。

 

rubytomato.jpg

当たり障り

| | コメント(2)

 「当たり障りなく」生きられることは誰しもの願うことだと思う。できれば穏便に平安に生きられる生涯だったらどんなにか楽だろう。

 

 夜はマンション管理組合の第一回定例理事会に顧問として出席した。今度は主催者ではないのだから、できるだけ黙っていようと思っていたのに、一言口を開くと次から次に・・・。つくづく厄介な性格に生まれ合わせたと、終わってみれば後悔しきり。

 

 (ちょっと違うな?)(それはこう考えれば良いのでは?)と思い始めると黙ってやり過ごすことのできない性分は治らないかも知れない。しかし一方では、そうすることによって他者に生じるであろう私への攻撃や負の感情などを引き受ける覚悟は決めておかなくてはならないとの自覚はある。だから私は多くの人と深く入り込んでお付き合いすることは苦手である。こんな私にも、稀に理解者が現れるのだが、緊密な交流を継続するまでには至らない。

 

 独かと問われればそうかも知れないと思う。が、それも考えようで、孤独を忌むべきものとする人にとっては孤独は避けるべきことであろうが、独りもまた楽しと思う者にとってはさほどの凶事でもない。人からの働きかけを心待ちにすれば誘われないことに落胆するだろうが、人からの働きかけを期待していなければ感情の揺らぎは引き起こされない。

 

 まあ、心身ともに頑強な時には強気にもなれるのだけれど、ね。

 

 夜は一人の現理事が私の発言に気色ばんで反論して来た。(その発想は一人間としての立場なら間違ってはいないけれど、現在理事であるという公的な立場を考えるとちょっと違う見方をして下さい)と言いたいところを呑み込んだ。

 

 っぱり黙っていたほうが賢いのかな?

 たし馬鹿よね?おバカさんよね? (自嘲笑)

目に留まったもの

|

tobira.jpg

 

 ↑ れは毎朝毎夕通る道の側にある灯油倉庫です。昨日、信号待ちの間にふと目をやると、その錆びつき方が芸術的に見えてきて、青信号に変わる直前に急いでデジカメを取り出して撮影しました。落ち着いて写せなかったのでよくわからないと思いますが、円形の縁の錆が微妙なグラデーションになっています。

 

 

yanekarasu.jpg

 

  根にとまるカラス一羽。

 前は知っているけれど著作を読んだことはない。色川武大はそんな作家だ。いや、阿佐田哲也の著作だったら2?3読んだかもしれない。色川武大と阿佐田哲也は同一人物である。

 

 を据えて構えて観るテレビではなく、点けっぱなしにしていたテレビから聞こえる言葉に耳を捉えられることがあり、今朝もNHK映像スペシャル「あの人に会いたい」という小コーナーの色川武大の呟くような言葉に引き寄せられた。

 

 中戦後に青春を過ごした彼の述懐「愛されることを知らない生き方をして人を追い詰めることはできなくなった」「人と競争して勝つのは嫌だけれど負けるのも嫌なんだよね」「幹線道路をひた走る生き方はできないから脇道をゆっくり走る」など、一字一句正確には覚えられなかったけれど、ほぼこのような内容のことをインタビュアーの問いかけに答えていた。

 

 んでみようかな、彼の作品を・・・

このアーカイブについて

このページには、2008年6月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2008年5月です。

次のアーカイブは2008年7月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

2017年3月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

月別 アーカイブ