「人を傷つける騒音に注意を」


先日の深夜、市街地の方向から聞こえて来る暴走族の爆音が気になり、ベランダに出ました。高台にある六階のベランダからでも、その姿を確かめることはできませんでした。ベランダから家の中に入り、読みかけの本紙に目を落とすと、論壇の「病院を騒音から守ろう」が目に飛び込みました。

爆音が聞こえてきた市街地と私の住む所の間には、最近できた大学病院があります。大病院の少ないこの地域に、住民の期待にこたえてできた病院です。偶然ですが、暴走族の騒音を聞きながら、その大学病院の患者さんのことを考えていました。

先日も、その病院を訪れた時に、その建物と目と鼻の先の空き地で数人の中学生が、爆竹を何発もはじかせているのを目撃して憤慨していたのです。

私は二年前に息をひきとる間際の夫のまくらもとで、三日三晩一睡もできずに看病していた時、隣の部屋のテレビの音量や話し声の大きさに神経をいら立たせたことを思い出します。

目の前に傷つく人を見なければ、自分の行為がどれほど他人を傷つけようとむとんちゃくな人、傷つく人をまのあたりにしても自分の利害にかかわりがないとみると、心を動かさない人。

最近は心冷えびえとするような出来事が多過ぎるように思います。


* 昭和63年(1988)7月24日(日曜日)  朝日新聞 「声」欄に掲載されたものです。