文章講座課題文 「騒音」  (1989年)


ドタバタドタ、バッタン。今日も夕方から夜中の九時過ぎまで、上階で音がする。時には、たたきつけるようなピアノや引き戸を乱暴に開閉する音が交じる。そのつど、上の住人の顔が頭に浮かぶ。それは、決して楽しい気分ではない。

我が家がこの建物に入居して一週間とたたぬころ、私はこの物音に気づいた。この家にわずか半年しか住まないで神戸へ引っ越したという前の持ち主は、あるいは、この音にヘキエキしていたのではなかろうか、という疑いが私の頭をかすめた。それまで平屋住まいだった私は、団地の生活音について、話に聞くことはあっても実感できる体験はなかった。

越してきて三年が過ぎた。上の家では男の子が生まれ、今では七歳の女の子と二歳の男の子と二人分の駆け回る音が響く。おまけに最近、床を板張りにしたらしく、落下物や子どもがおもちゃでたたくらしい物音がひどくなり、コツンガツンと神経にさわる。

我が家にも元気の余った小学生が二人いる。それに、私が子どもをどなりつける声も決して小さくはない。これまではお互い子持ちの身では仕方がないのだ、と自分をなだめて来た。しかし、上階がフローリングに替えてからの物音は、これまでのカーペット敷きでの音とは比べものにならない鋭い音がする。

最近我が家を訪れた客が、上階から響く音を耳にして「ひと言、言った方がいいよ」と進言して帰った。この訪問客の中年婦人も、集合住宅に住んでいて同じ経験があるという。彼女が上階の夫婦に「静かに歩いてください」と申し入れた結果、彼女は(文句をつけた人)という団地のささやきに甘んじなければならなかったらしい。足音は改善されないままに・・・・・。

今のところ、私はねじ込むつもりはない。それは、お互いさまと思うからではなく、一週間前、我が家のベランダに落ちてきた洗濯物を届けた時、「ありがとう」の言葉もなかった奥さんの対応に、結果を見た思いがするからである。


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【後日談】

この文章を書いて、かれこれ14年近くが過ぎました。今では、上の階のお子さんもすっかり成長して大人です。当然、物音もしなくなりました。
つくづく「文句をつけなくて良かったなぁ」と思っています。短気は損気、じっくり見極めて行動に移すことの大事さを、10年の歳月かけて学んだ出来事です。付き合ってみれば上の階の奥さんも気のいい人で、単に話しぶりがぶっきらぼうだということだったようです。第一印象も、あてにはできないということでしょうか。(2003年1月18日)