ここ数年、無性にホタルが見たくて、毎年夏になると、耳にした情報を頼りに訪ね歩いている。
宅地開発と農薬の影響か、自宅近辺ではまだお目にかかれないでいる。

私の幼時の思い出の中で、ピカリピカリと光りつづけるホタルの姿。そして、ホタルに触れた手のひらをそっと鼻に近づけた時のあの不思議なにおい。
夕涼みの縁台で聞いた「ひとだま」の話やお盆に帰ってくるという先祖の話が、ホタルの光に重なっていた。

ただの虫と人は言うかもしれないが、私にとってホタルは特別な虫となっている。

今年は、七月末に長野県の友人宅へ泊りがけで出かけた。
「ホタルを見に行こうよ」と誘われて、夜中、子ども達を連れて出かけた。

夫亡き後、彼女が一人で作っている稲田のほとりで(二十四の瞳)ならぬ(十四の瞳)が闇を見つめる。
少々時期をはずれていたせいか、なかなか見つからない。

そのうち、かすかにだけれどピカッピカッと飛び交う光が、一つ二つ。子ども達は、それこそ我を忘れて後を追う。
何となくボンヤリと日を過ごしているかに見えた我が子たちの内に、これほどの興奮を呼び覚ますホタル。私だってこんなにワクワクしている。やはり、ホタルはただの虫ではない。

「見ず知らずだった私たちが、こうして泊りがけでつき合うようになっているなんて、不思議」と友人がつぶやく。夫が病気にならなければ、同じ病院に入らなければ、同じ時期に夫を喪うという偶然がなかったら、一生知り合うこともなかった私たち。この支えを得たからこそ、身寄りから孤立していても、がんばっていられる私。

闇に飛ぶホタルを見ながら、その向こうに亡き夫の姿を見る思いがした。きっと、友人も同じ思いだったのだろう。

父が逝き、夫が逝き、毎年夏になると私の胸に帰ってくるホタルは二つになってしまった。

何の屈託もなく、ホタルに歓声をあげる男の子五人。
やはり来て良かった。ホタルが見られて良かった。