文章講座課題  「垣根」  1990年

 私の住む市では、生け垣を奨励しています。そのせいか近辺では、樹木を周囲に巡らした家が多いように感じます。ところが、こうした生け垣のほとんどは、丈高く切りそろえてあります。人通りの多い道路に接している住宅で、家の中を覗かれないためなのでしょう。同じ目隠しでも、ブロック塀を高く積むよりは趣があって安全と言えるでしょう。
 
 田舎にある私の実家は、道路から少し引っ込んだ場所に、田んぼに囲まれて建っています。垣根や塀などありません。庭先からは向こうの様子が眺められ、一日数本のバスが上っていくのを確かめて家を出られる便利さもありました。バスは、ほぼ20分後に折り返してくるからです。

 また、道路からは顔見知りのだれそれさんが、庭にいる家人の姿を見つけて「〇〇さぁん、ええお日和ですのぉ」と、声をかけて来ます。そのまま立ち話になったり、「まあ、お寄りなさいませ」と続くのでした。行き交う人々が知り合いばかりのような、昔の田舎だからこその光景でしょうか。

 2年前に知人がニュージーランドへ行って来ました。その時の写真に写された個人住宅に心ひかれるものがありました。それは、白いペンキを塗った丈の低いさくと、その奥に広がる手入れされた庭でした。

 今年、私がオーストラリアを旅行した時に見た家々のたたずまいも、ほぼ、似たような様子でした。パース市の郊外では柵すらなく、道路から芝生の前庭を抜けて、そのまま玄関です。国土の広さや住宅文化の違いもありますが、人通りに面した前庭の柵や垣根の低いことは、深く印象に残りました。

 垣根の高さは用心深さのバロメーターでしょうか。人は、まず疑ってかからねばと思う心が、知らず知らずに垣根を高くさせるのでしょうか。

 高い垣根と低い垣根、そして、垣根のない暮らし。私はやっぱり、垣根が無くて暮らせることにあこがれてしまうのです。