「人権守るのは弱者への配慮」


今月の四日から十日までは人権週間だった。

私は、これまでの人生で二度、一家の大黒柱を失った。一度目は父、二度目は夫である。

人事を尽くして、なお及ばぬ事態の後で経験した現象は、どちらも似たようなものだった。つまり、成人男子の欠ける家庭は、一人前の扱いを受けない、という事実である。女性の人権は、いまだ男性の社会的位置づけと共にしか認められないことを知らされた。

他方、難治の病人の人権もなおざりにされやすい。病院が、働けなくなった人間の「姥捨山(うばすてやま)」であってはならない。そのような発想からは、尊厳ある闘病生活は不可能である。健康であった時と同一の人格を尊重すべきである。

現代日本の価値判断の基準が「学歴と金」に集中していることに、私は危惧(きぐ)を抱く。「学歴と金」を持たざる者は、がむしゃらに子孫に夢を託し、持てる者は、失わぬことに腐心する。そこには、弱者へのいたわりも、少数者への配慮もない。

人権週間と言いながら、真に人格の尊重を望む者の声は届かない。他人事とせず、一人ひとりが「個の尊重」について考えるべき時と思う。


* 昭和63年(1988)12月23日(金曜日) 朝日新聞 「声」掲載