筆記用具


 「筆記用具」という言葉は、セルロイドのかまぼこ型の筆箱と、その中に納められた数本の鉛筆、そして消しゴムを連想させます。

 小学校のころ、新しい物はほとんど買ってもらえませんでした。勉強机は、隣にあった土木出張所が閉鎖されるときに父がもらってきた物でした小学生の身体には少し大きめのその木製の粗末な机といすは、それでも私の空想をはぐくむには十分な場所を提供してくれました。

 昼間の野良仕事で疲れて帰る両親から「勉強しろ」と言われたことはありません。私は、ひまを持て余したり、独りになりたいときはその机に座り宿題をするでもなく本を読むでもなく、ほご紙を広げてていねいに何本かの鉛筆をナイフで削るのでした。

 親類のおばさんがお年玉にくれたピンクのセルロイドの筆箱に、柔らかいチリ紙を細長く折り畳んで敷き、削った鉛筆を並べます。長さの順番に並べ、上部に消しゴムを置いて一段落です。その後、机の上をチリ紙でふきます。すると、鉛筆のしんの粉が黒くふきとられるのです。

 その当時、鉛筆を削ることは、私にとって一種の精神安定剤のようでもありました。

 最近は、アニメのキャラクターやカラフルなデザインの筆記用具がたくさんあります。若い人たちに人気があるようですが、実はわたしも年がいもなく楽しんで見て歩くのが大好きな一人です。使う目的もなく買って来たりするものですから、気が付いてみると、家の中にはボールペン・サインペン・シャープペンから筆ペンまで筆記用具があふれています。もちろん鉛筆もあります。しかし、その先端はすべて電動削り器で円錐形に削ってあります。

 思えば私の小学生のころに比べると世の中はずっと物が豊富になりました。値段も高くなっています。そして、移ろいゆく流行。私は今、改めて一本一本の鉛筆の削り方に精神を集中させたあのころを懐かしく思い出します。

(1989年)