文章講座課題文 「絵はがき」



毎年、暮れになると、ヨーロッパの友人たちが翌年のカレンダーを送ってくれる。昨年、西ドイツのペンパルから届いた物は、左側の写真の部分が絵はがきとして使えるものだった。西ドイツ各地の四季を写した十二枚の写真は、彼女の暮らす土地への私の空想をかき立てた。

受け取るとすぐ、この絵はがき全部を、ひと目で眺められるようにして飾っておきたいと思った。しかし、物がカレンダーだけに、ひと月ごとに一枚ずつはがすのが当然の先入観があり、年の始めも待たずにバラしてしまうことはできなかった。それに、バラバラに切り離した絵はがきを、うまく飾る方法も思い浮かばなかったのだ。

そうこうするうちに年も改まり、カレンダーの暦の紙と共に、絵はがきの部分も一枚また一枚と減っていった。そして、年の暮れを迎えようとしている現在、カレンダーにはクリスマスの教会を写した十二月用の絵はがきが一枚残るだけとなった。

十一ヵ月分の絵はがきは、私に惜しまれながら、四十円切手を張られて、片道の国内旅行に旅立って行った。もちろん、その落ち着き先は、差出人の私が厳選した人たちである。ひとり暮らしの実家の母、日のあたる時も日陰の時も変わらない私の友人たち、そして、今年三月の亡夫の三回忌に、長い間の誤解がやっと解けた義姉への便り。それぞれの便りをポストに入れる時は、私の好きなこの風景が、受け取る人にも好ましいものであることを祈った、つもりであった。

ところが、つい先日、数枚の絵はがきを一枚の額に並べて飾る、というアイデアを雑誌から仕入れた。その途端、私は現金にも、心を込めて手離した絵はがきが無性に恋しく、できれば返して欲しい、という心境になってしまったのである。

(1988年)