明日という日

まあ世の中色々なことがあります。
秋になって急に、あの本この本と読みたくなりました。まさに「読書の秋」ですよ。良い季節です。夏の暑さでふやけていた脳細胞が、涼風に吹かれてきゅっと引き締まってくるのでしょうね。

というわけで、新聞や雑誌の書評が目に付いて数冊の本の題名を手帳に書きとどめ、図書館にリクエストしました。
どこかで紹介される本というのはやはり大勢の人の目にとまっているようで、すぐには手に入らないもののようです。
リクエストした本の題名を忘れてしまったころ、図書館から電話が入ります。

読みたいと思った本を手にした時に、じっくり読んでいられる状況かどうかというのは、読みたいという気が起きた時点では予測不可能なんですよ、これが又!
結果、図書館で受け取った本はそのまま、期日までに読まなければならない本となって、今度は気持ちにお荷物となったりします。
「明日は読もう」「明日こそ読むぞ」なんて、まるで(あすなろの木の決心)のような繰り返しで日時は過ぎていくわけです。

ところで「明日」という日は確実にくると約束されているのでしょうか?
もしも、その日が来なければ、私が読み残した本はもう読めません。それは(あったり前田のクラッカー)←古い!

やりたいことがあるならば「明日の明日の明日の明日のまた明日」に延ばさないで、なるべく近い「明日」にやることですね。

(2000/12/06)