10センチの思いやり   (2002/5/12)


これは、たとえ話です。

ある日、ある町に大雪が降りました。明日の朝は、登校・出勤に急ぐ人の足元は危ういものになりそうです。そんな人たちが大勢行き交う道路に面した家では、朝早く起きて雪かきをしたりします。見知らぬ人の足元を気遣って、重い雪をスコップでどける作業はけっこうな重労働で、高齢者所帯や女性には大変なことでしょう。

雪かきは町の人の義務ではありません。しかし、ふだん大雪の降らない町では、住民のほとんどは雪道の歩き方に慣れていません。まだ踏み固められていないふかふかの雪も、何人もの人々が歩くとコチコチに固められて、普段履きの革靴やスニーカーではツルリツルリと足をとられて転んでしまいます。打ち所が悪ければ、救急車のお世話にならなくてはなりません。実際、雪の降らない地域の積雪の朝は、救急車のサイレンが朝から走り回ります。

もちろん、公共の除雪も行われますが、早朝の間に合いません。

そんな時、個人のお宅で雪かきをして下さってあると、そのお宅の住人の優しさが思われて、ふと心温められることもあります。

その雪かきですが、道路は公共の場ですから自宅の敷地と隣の敷地の境目がありません。

何気なく表れる人の心持ちというのが、その降雪の翌朝の道路に見られることがあります。

ある方は、両隣に10センチ入り込んで雪をどけておきます。
ある方は、10センチ手前で止めておきます。
ある方は、雪かきすることにすら気が付きません。
ある方は、雪かきをしたくてもいろいろな事情でできないかも知れません。

積雪の朝、両隣の家との境目無くきれいに雪かきがしてあるとしたら、それは、周囲を思いやる心を持ち合わせた人が、そこに住まいしているということなのだと思います。

きっちりと隔て過ぎず、入り込み過ぎず、この10センチの気遣いを持ち合わせることが、どんなに人間関係をスムーズにしてくれることでしょうか。