2017年(平成29年)8月15日(火)大安           雨 ときどき 曇り      終戦記念日/月遅れ盆



ぐずついた天気が続く。
スッキリと晴れて「これぞ夏」という日が無いままに7月が過ぎ8月も半ば。
関東地方では大なり小なりの降雨の日が15日も連続しているのだそうだ。

梅雨明けが発表されたとたんに梅雨もどきの天候が続いている。
日照時間は当然少ない。
気分は次第に重苦しくなって行く。

★★★

墓参りをしてきた。

「若くして夫を亡くした未亡人は早くに墓を建立しないほうが良いと言うよ」
と言ったのは、誰あろうその墓の建立を依頼した墓石やだった。
世間知らずの未亡人から大金で仕事を請け負い、いい加減な墓づくりをした男。

その後改めて周囲の墓と比べてみて、うちの墓の作りがいかに杜撰であるかが分かる。

その墓石やは我が家の墓を建てたのち、しばらくして店をたたんだと聞く。
そういう奴だったんだ・・・と分かった時には時すでに遅しで、
返金請求できるわけもなし、墓の不具合のやり直しを求めることもできない。


その墓石やを私に紹介したのは葬儀を依頼した寺だったというのも、今思えば「なんだかなぁ・・・」である。

近親者を亡くして精神が混乱状態の遺族がカモにされるということを認識したのはずっと後になってから。


いまに始まったことではないが、私は世間体を意識しての冠婚葬祭を避けたいという信念のような思いを抱いている。

自分の結婚式だって、
互いに財力の無い親の多人数きょうだいの末の子どうしだし、戸籍だけの異動で良いではないかと主張した。
しかし、相手は世間体と形にこだわり、式だけはというので、こちらが譲歩して公民館での人前結婚式という形になった。
夫が、結婚に必要な金銭を義姉から借りていたことを知ったのは結婚してから。
人に借りを作ることは避けたい私は、独身時代に貯めていた貯金を取り崩して速攻返済した。

だから、式なんか挙げなくていいと言ったのに・・・という言葉は胸の内に収めて。


冠婚葬祭は誰のためにするのか?
その為に支払う費用の負担は誰が持つのか?
そんなことを考えた時、
少なくとも私は自分自身の為には世間体を取り繕う見栄の為に挙行はしたくないし、してほしくもない。


振り返れば親の庇護も薄く、ただ独力で足掻きながら泳ぎ渡ってきた人生。
消滅の後は、骨壺に等に収められて墓石の下に保存されることなく、土に帰してほしいと切に念じている。

中学生の時に詠んだ短歌
「大地より生まれ出でたるこの命 果てたるのちは大地に帰れ」
その通りに生を終えたい。

2017年(平成29年)8月2日(水)仏滅             曇り



あまりに暑過ぎて体力の回復する間が無いという日々。
疲れは溜まるばかり。
だるい、だるい。

先日、聖路加国際病院の名誉院長だった日野原重明さんが105歳でお亡くなりになった。
生涯現役医師を貫かれてのご長寿。
巨星が次々に消えていき、言いようのない心もとなさを覚える。

今の時代、
教養・品格・人間性・情緒・・・
そうした言葉を体現しているような人物に出会うことが難しくなった。

人の内面は否応なく外面に反映される。
見るからに欲深そうで意地悪そうで厚かましそうな面(つら)が増えたような気がする。
特に、メディアで話題になる人物に。

お前はどうなんだという自問はしないことにする。
人間の目の特性は自分の外部の事象を見ることしかできない。
したがって、自らを客観的に捉えることは不可能ということを言い訳にする。
(だから生きていられるのかもしれない)