2013/6/30   ()          くもり  のち  晴れ



2013年の6月も最終日。
一日一日がとても貴重に思えるこのごろ。

先日来、気になっている一冊の本がある

「僕の父は母を殺した」   大山寛人:著   朝日新聞出版:発行

気にしていることは目に飛び込み易いやすいようで、
28日付の新聞に、関連番組の再放送があるとの記事を目にする。
そして今日、その再放送を視た。

NNNドキュメント’13「死刑囚の子 殺された母と、殺した父へ」
(BS日テレ a.m.11:00〜)

事の成り行きを詳細に述べて番組を制作すれば、
おそらく一時間番組になるであろうが、
もともと、日本テレビが日曜深夜に放送しているドキュメンタリーなので30分の展開。

カメラは、取材対象の大山寛人さん(25)が死刑の確定した父親と手紙で交流する様を追う。
淡々と心情を呟きながら取材を受ける大山さんの眼に、
これまでの苦難と現在の苦しみを見るような気がした。

大山さんは、小学校6年生にして、
被害者家族と加害者家族を一手に引き受けざるを得ない境遇に立たされた。
しかも、被害者は母であり、加害者は父である。
相当複雑な心理的葛藤を抱えてのこれまでの歩みであったに違いない。

それでも今、父と手紙のやり取りをし、面会にも出向いているという。

こんな過酷な人生もある。


近年、家族間での殺人事件の報道が増えたように思う。
閉塞感に覆われたこの国の今。
ささやかでも、心平安に暮らせる日は、いつ訪れるのか。

2013/6/28  (金)          くもり



理解者だと思っていた人から受ける辛辣な言葉や仕打ち。
これまでの人生で、こうした出来事に何度遭遇してきたことか。

今考えてみると、それらの人は私の望むような「私の理解者」でも何でもなくて、
その時に私を利用価値のある存在だと思っていただけなのだろう。

振り返ると、我が人生、少なからず悔しい出来事が積み重なった風景が展開する。
でも、悔しさも情けなさも哀しさも、
以前のような激しい感情に高ぶることはなくなった。

全ては消えゆく存在。
先に消えるか、後で消えるか。

消えゆく時に、自らを肯(うべな)える時間を過ごしたい。

2013/6/24  (月)         くもり  のち  晴れ



午後、人間ドックへ。

定年退職を区切りに、
毎年受けていた健診クリニックでの人間ドックから、
市や保健所が行う集団健診に切り替えようと思った。

昨年一年間、市の広報誌などをチェックしながら幾つか受診してみたが、
私にとっては、向かないことが判明した。

確かに、集団健診だと料金は無料だったり格安だったりする。
その代り、それぞれの健診項目別に指定された日時・場所に出向いて、
公共施設を会場にした健診場所や健診バスの中で、
大勢の受診者の一人としてさばかれる気ぜわしさがある。

健診料金の高さに迷いはあったが、
今年は、以前どおりの健診クリニックに行くことにした。
おかげで、一ヶ所で3時間でサッサと各項目健診を終えることができた。

うーん、来年はどうしようかなー・・・

それにしても、
個人の健康管理に国レベルの干渉が入る時代になっている。

今年に入って何通もの集団健診案内状が送付されてきて、
どれを受診すれば良いのか戸惑った。
原因は、市役所からと保健所から別々に送られてくる案内状にあるとわかった。
どちらか一方に統一して管理してもらえないものだろうか。
これも、同じようなことに横の連携はしないお役所仕事の例か。


今夜もテレビで健康や医療のバラエティ番組が放送されている。
確かに、健康や体の知識は豊富になったけれど、
いまひとつ、痒いところに手が届いていないような感じがある。

人間って、生身をもって生きていれば、いつどうなるかわからないんだよなあ・・・
その時どうするか、その覚悟もあってこその健康のような気がする。

自分が未だ深刻な健康問題を抱えていないから抱ける感想かもしれない。

2013/6/23  ()          晴れ



一昨夜は、なぜか寝付けなくて、3時過ぎても目が冴えていた。
立ち上がってウロウロしてみたり、横になってみたり。
テレビを点けて深夜番組で面白そうなものをさがしてみたり、
読みかけの本を開いてみたり・・・

あヽ、これが常態化すると不眠症と呼ばれる症状になるのか。
一瞬、かすかな不安がよぎった。
しかし、
不安が先で眠れないのか、眠れないから不安が高じるのか、
これはどちらとも言えないな、などと胸の奥で屁理屈をこねてみる。

今回は、翌日が仕事だったので、何とか寝ようとしたけれど、
時間の拘束さえ無ければ、別に無理して寝ることもないと思える。

夜は静かで、何事にも集中できるのだし。

結局、午前4時ころから入眠できたのは良いけれど、
いつもは5時半〜6時に起床するところが7時に目が覚めて、
出勤の支度に慌てる羽目になった。


眠れぬままにベランダに出てみると、南西の中空に大きな月が輝いていた。

つい先日のこと、どこかの記事で「スーパームーン」とやらの語句にお目にかかっていて、
おヽ、これがスーパームーンか!   と・・・
インターネットで調べてみると、今回のものは、正確には23日の早朝に見られる月らしい。
地球に最接近した(満月)または(新月)のことを言うらしい。

ま、一日早いにしても、スーパームーンらしいものを見ることはできた。
格別の大きさと輝きだった。

2013/6/20  (木)         雨  降ったり止んだり



季節らしい蒸し暑さに慣れるまで、体調が崩れる。
ここ数年、毎年の自覚症状。
何しろだるい。

そんな時にはそのように、
無理をせずに過ごすことにしよう。


今朝は7時からサッカー観戦。
ブラジルで行われたコンフェデ杯、対イタリア戦。

前半は良い線行ってたのになあ・・・
後半のギリギリで1点勝ち越されて、負けてしまった。
3:4 の負け。
とは言っても、イタリア相手に3点を出せたのは立派!
と、(さほど詳しくもない私が)偉そうに言ってみようか。

2013/6/14  (金)        雨  のち  くもり  のち  晴れ



ときどき「この話は墓場まで持って行く」という表現を聞くことがある。
大抵は、重大な秘密であることが多い。

このところ考えるのだが、
社会的に影響の大きい重大な秘密でなくとも、
言ったところで誰が得するわけでもなく、
むしろ傷つけてしまうかもしれない個人的な意見や感想などの中にも、
「墓場まで持って」行ったほうが良いものがあると思うようになった。

人は親しくなればなるほど、遠慮会釈を失いがちで、
遠慮会釈が無いことをこそ「親しみ」と感じている節もある。
昔の人は、そこに気付いたからこそ
「親しき仲にも礼儀あり」
という諺を残したのだろう。

親しい範疇には、友人・知人はもちろん、肉親も含まれる。

年齢を重ねれば重ねるほど、
人は過去の経験に照らし合わせて、物事の行き着く先が読めることが多くなる。
そのことにより、
口数が減って行く老年者と、
却って口数の増える老年者とに分かれる。

年寄りの口数が少ない場合、内包している考えは重い。

一方、歯止めが決壊したかのように、喋りにブレーキがかからなくなると、
言ってはならない昔のことや、周囲の感情への配慮に欠ける発言をしてしまうようになる。
本人には(言ってはいけない)意識が無い場合が多く、
聞いた側は心傷つけられるが、反論すればへそを曲げられて終わり。

年取っても、周囲を傷つけるような不用意な言葉を発しないためには、
常日頃から、
物事の見方を明るい方へ喜ばしい方へという習慣をつけておかねばならない、
と自戒を込めて思う。

なるべくなら、
自分亡き後に遺される人々が幸せになることができるような言葉を遺して逝きたい。

そのためには、
恨み辛みややっかみの感情から発しそうになる言葉の数々は、
「墓の下に持って行く」覚悟で老いを生きねばと思う。


後世の邪魔をせずに、ヒッソリとささやかに綺麗にこの世から去って行くことは、
つくづく至難の業だと思うようになった。

2013/6/13  (木)        雨  ときどき  くもり



近づいていた台風3号は温帯低気圧に変わり、
適度の雨を降らせている。

30度台後半の猛暑の地域もあったらしいが、
当地では、むしろ肌にヒンヤリするくらいの温度感。


先日、映画「リンカーン」を鑑賞した。
その関連映画として観ておこうと思っていた「声をかくす人」を観た。

「リンカーン」では暗殺されるまでが、
「声をかくす人」では、暗殺犯たちのその後が、
それぞれ描かれている。

現在、世界の中でリーダーとして振る舞っている米国だけれど、
その歴史は新しいと言える。
二作品を鑑賞して、さほど深みのある感動を覚えないのはそのせいか。

「声をかくす人」はロバート・レッドフォード監督作品。
ロバート・レッドフォードといえば、
昔の「華麗なるギャッツビー」でギャッツビーを演じていたっけなぁ・・・
その時の映画を映画館で観た。

今も記憶に残る場面は、ギャッツビーのワードローブ。
整然と収納されたシャツやセーター類。
その収納の仕方に、私は僅かばかり影響を受けている。

いまちょうど、リメイクの「華麗なるギャッツビー」が公開されている。
でも、もうこちらは観に行かないだろう。

2013/6/9  ()        晴れ



お中元には少し時期的に早いのだけれど、
デパートから夏の贈り物を数件に送った。

私が店員さんに数枚の宅配依頼伝票の説明を始めると同時に、
横に一人の年配の婦人が立った。

彼女が手にしたのはゼリーの詰め合わせ一箱。

一箱のことならと、私は店員さんに
「あちらをお先にどうぞ」
と譲った。

ところが、
その一箱は、名前を書いたのし紙を付けて包装してお持ち帰り。
最後に
「もう一つ紙袋ちょうだい」
とのリクエスト。

これが、結構な時間がかかりまして・・・

おまけに、
買い物が済むと、サッサと立ち去って行った。

別にお礼を言って欲しかったわけではないけれど、
ここは会釈のひとつもあって然るべき場面でしょう。
ホラ、最近たまに取り上げられる「江戸しぐさ」ってェものよ。

いい年寄りからしてこうだもの、
若い者の立ち居振る舞いばかり責められないよねえ・・・
困ったもんだ。

で、
皮肉にも、結果的には私の買い物のほうが短時間で済んだ。
なんでも譲って、身を引いて暮らしていると、
こんなアホらしい目にも合う。

2013/6/8 ()        晴れ  のち  くもり



今日は、フィットネスをお休み。

久しぶりに刺繍の続きを手掛けようと・・・したが、
ライン入れに手こずっている。

クロスステッチを刺しているときは楽しかったけれど、
全部刺し終えてからラインを入れようとしたのは、間違いだったかも。
図面の中で重なり合う記号が見えづらいし、
作品の中の位置もハッキリしないし。
クロスステッチを刺しながらラインも入れるべきだったか、と。
これは、後の祭り。

目も見え辛くなったし、体も鈍(なま)るし、
これを完成させたら、もう手芸はしないなんて思ったけれど、
テレビでトルコ手芸のオヤを視たり、
スエーデン刺繍の発案者の方が手掛けておられるという
プチ・ポワンという刺繍のことなどを知ると
またまた「私も・・・」という好奇心がムクムクと頭をもたげてしまう。

手芸に関して、まだまだ私は懲りていないようだ。

2013/6/6 (木)       晴れ  のち  くもり



フィットネスクラブへ。

始めてまだ二回目なのに、
上昇気味だった血圧が元通りに。
心なしか体調が良い。

人間の心身は、
あまり楽をさせ過ぎてはダメで、
正常な抑制を可能にするために、
常に適度な負荷が必要なのだろう。


サッカー日本代表が、5度目のブラジル・ワールドカップ出場を決めた。
決定点となるPKを決めた本田圭祐選手の言葉が良い。
ワールドカップへの意気込みを問われて

「自立した選手になって『個』を高める」

とかく「和」を尊び、集団の結束ばかりを唱えがちな国民性があるが、
そろそろ日本人も「真の個」について自覚的に考える時期だと思う。

それぞれの構成単位が充実してこそ、
全体で、より高次元の成果を出せるというもの。
誰か偉い人・スーパーマンが一人で片づけてくれる、は無いのである。

2013/6/3 (月)      晴れ



ちっとも梅雨らしくない。
このところ晴天が続く。

街を歩いていたら、携帯の着信音が鳴り続けている。
ふと見ると歩道の端で、携帯を手にマゴマゴしている老婦人が。
どうやら会話ボタンが見つからないらしい。

「お手伝いしましょうか?」と声をかけた。
通話開始のボタンを押してあげようとしたら、呼び出し音が切れた。
返信で掛け直してあげたら、相手は既に伝言メッセージに切り替えていた。
でも、着信で即座に通話ボタンが押せなかった人が、
伝言メッセージにアクセスして聴くことができるだろうか?
未だに伝言メッセージの聴き方に不案内な私は、そう思った。

コンピューターの発達で、日常機器の発達変化は目まぐるしい。
私も既に取り残されつつある。

そんな人間は置いてけぼりと言わんばかりに、
大多数の人が新しい機器を取り入れて行く。

そして私はガラパゴスになって行く。

2013/6/2 ()     晴れ



健康管理とストレス解消のためにフィットネスに通うことにした。
久しぶりのエアロビクス。
以前やっていたので、ある程度は動ける。
ただ、残念ながら動きが早くなると途端に置いてけぼりに。
まあ、気長に続けましょう。

そのスポーツクラブで、懐かしい知人と遭遇。
彼女は今年定年を迎えて、今は無職だという。
フィットネスの合間に少しだけおしゃべり。


5月30日のキリンチャレンジカップ(サッカー)は残念だった。
次は、6月4日の 対オーストラリア戦。
こんどこそ、ガンバレ!!