2005/05/21 ()   晴れ  のち  曇り





いつも誘ってくださる方のお誘いでデュオ・コンサートに行ってまいりました。
ヴァイオリンとピアノのデュオです。

ピアノは仲道郁代さん、ヴァイオリンは小林美恵さんです。

曲目は

【第一部】
クライスラー/ ブニャーニの様式による前奏曲とアレグロ
クライスラー/ ウィーンの奇想曲
クライスラー/ 愛の喜び
プラームス/ ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調「雨の歌」
【第二部】
ショパン/ ワルツ第6番変ニ長調 op. 64-1「子犬のワルツ」 (ピアノ・ソロ)
リスト/ 愛の夢第3番変イ長調 (ピアノ・ソロ)
リスト/ メフィスト・ワルツ第1番 S.514  (ピアノ・ソロ)
シューベルト/ アヴェ・マリア
メンデルス・ゾーン/ 歌の翼に
サラサーテ/ ツィゴイネルワイゼン
【アンコール】
ドボルザーク/ ユーモレスク
エルガー/ 愛の挨拶


こころ洗われたようで、気持ちよく帰って来ました。
たまにはクラシック・コンサートでくつろぐ時間も良いものです。

2005/05/16 (月)  晴れ





歴史の波というものは、
個人の力ではどうにも防ぎようの無い大津波のようなものなのか?

何かがどこかが間違っていると危ぶむ人は多くても、
ほとんどの人には、その異常さを正す力が無い。

その力、即ち権力を握った少数の人は、
力に陶酔するが故に、己が所業の逸脱を自覚できない。

そうやって歴史の大波小波は繰り返されて来たし、
これからも繰り返して行くのだろう。

歴史年表に刻まれるであろう時代を生きている実感。

2005/05/15 ()  曇り  ときどき  晴れ





“至福の時”は人それぞれ。
私の場合は、心置きなくレースを編んでいる時間。
お世辞にも上手とは言えず、また、実用的でもない作品に夢中になっている。

凝った編み方に挑戦するより単純な編み目を何段も何十段も編むのが好き。
一本の糸が一本の針によって形ある物に変わって行く面白さ。

手間賃の安い隣国で手編みされた品物は店で安く手に入る。
いまどき自分で手編みして身に付けるなど流行りもしない。

にもかかわらず、私は編む。
使い道の無いテーブルセンターやドイリー、リボンや袋物。

ささやかでも、楽しめることがあるというだけで十分に幸せだと思っている。

2005/05/08 ()  曇り      母の日





(子どもからプレゼントされたブーケは幸せ色)

目にやわらかな新緑の季節。
何事も無く、一日を終える。

そろそろ蒸し暑さの気配もあり、
南のほうからは梅雨入りの便りも聞こえてきた。

2005/05/05 (金)  晴れ          子どもの日   立夏





この度のJR福知山線転覆脱線事故では、
次から次に、JR西日本の業務姿勢が問われる問題が指摘されている。
知れば知るほど、その異常さに驚かざるを得ない。

報道の方向性もあるのかも知れないが、
指摘される点のほとんど全てに共通すると思われるのは、
「人間性の欠如」とも言えそうな無神経かつ無責任さである。

特に情けないのは、
半世紀前後を生きて来たであろう役員や職員達の言動のあり方。
あれは、この凄惨な事故をどの立場に立って考えているのかと疑われても仕方がない言動のような気がする。

最近どこの職場でも、人を束ね導くべき立場の管理職においては、
その質が低下しているのではないだろうか?

何の為に働くのかということをつきつめて行けば、必ず「人の生」を抜きにしては語れないだろう。
自分の金の為にだけ働くのではなく、自分の名誉の為にだけ動くのではなく、
人が働くという周辺には必ず多くの人との関わりが成立している。

基本は人の『命』。
命とは単に臓器として動く心臓だけを意味するのではなく、
希望・信条・健康・自尊心など一人の人間まるごとを意味する。
他者のそれらを害する事は誰にも許されてはいない。

そのことを常日頃から真剣に考えているならば、
非常事態における自らの行動のあり方は自ずと決まってくる。

もしも自分が害される立場だったら、
または、
害された立場だったとしたら、
どのような救済を望むだろうか?

誰もが等しく被害者になり得る危うさを抱えて生きている。
だから、どんな場面や問題に直面しても、
そこに関わっている他者のことを忘れてはいけないのだと思う。

JR西日本に限らず、現在人の上に立っている人物の多くに不信感が募る昨今である。

2005/05/04 (水)  晴れ              国民の休日





今年の連休は、好きなことにタップリと浸って過ごそうと思った。
毎日レースを編んで、観たかった映画を観て、気になっていた部屋の片づけをする。

日々のあれこれに追われて、ゆとりをなくしていた私が私に戻れる休日。

白いレース糸を丹念に編みながら、ときどき手に取って眺めてみる。
その繊細な模様に満足して、不思議な幸福感に浸っている。

映画はやはり一人で観るに限る。
同じ映画でも、十人の感想は十通り。
私が感動しても連れがつまらない表情をすれば、
私の満足感が半減するという事態は避けたい。
せっかく時間を割いて映画館に足を運ぶのだもの。

寒いからと締め切って過ごした冬場に埃っぽくなってしまった部屋を開け放ち、
あれもこれも洗濯して、掃除機をかけ、雑巾がけをし、衣類の入れ替えをする。
開放的で軽やかに過ごせる時季に向かうと思うと、心身に力が蘇るような気がして楽しい。

さぁ〜て、明日はどんな風に過ごそうかな・・・

2005/05/03 (火)  うす曇り  のち  晴れ          憲法記念日





映画「Shall we dance」を観た。
同じストーリーが、
日米の文化や生活習慣の微妙な違いでどのように変化するのか、
興味があった。

私は、やはり日本版が好き。

社交ダンスとは無縁だった実直な男性が、
踊ることに楽しさを見出し、
いまひとつ物足りなかった生活に輝きを見出すというテーマは、
日本人だからこそ際立つ何かがありそうな気がした。

光の差し込む林。ウグイスの声を聞きながら。


2005/05/01 ()  うす曇り  夜になって雨パラつく





尼崎転覆脱線事故に関しては、言葉を失っている。

あの周辺は、私が若い時分に二年間を暮らした辺り。
今回の事故で、周辺の様子をカメラが上空からとらえて放映していた。
約三十年前とはうって変わった様子は、過ぎ去った年月を考えれば当たり前。

あのころ、梅田に出かけるには、すぐ近くの国鉄伊丹駅ではなく、
ちょっと離れた阪急伊丹駅を利用していた。

その阪急伊丹駅も、阪神淡路大震災の折には倒壊したと聞く。
大震災の一年後に訪ねて見ると、駅はすでに修復されていた。

テレビに映し出される映像を見ながら、
他人事とは思えない感情が湧きあがってくる。

少しでも早く人の先を歩こうとか、
人を押し退けてでも僅かな利を得ようとか、
自分の過ちをごまかしてしまおうとか、
そんなことをしていては、いつまでたっても不安は去らないと思いませんか?

つい一週間前、
私も、柏駅のホームに到着した電車が4−5mバックするのを目の当たりにしたばかりだった。