2003/03/31 (月)  晴れ





桜が咲き、花壇もそろそろにぎやかになり始めた。
三月も終わり、平成14年度も今日で最後。
二年間を過ごした職場を後にする。

夕方から始まる送別会までの空き時間を利用して、前々から観たいと思っていた映画を観る。
蜷川幸雄:監督作品の『青の炎』

一人の高校生が殺人を犯し、自らも、若いままの一生を閉じてしまう話。
この映画をテーマに、原作者と監督と主役の若者を囲んで高校生が意見を述べ合っている番組を見てから、
ぜひ観に行きたいと思っていた。

二件の殺人を犯して、警察に追い詰められた17歳の若者が、
最後に、ほのかな想いを寄せた女の子を美術部室に呼び出して、彼女に殺人を犯したことを告げた時
その女の子が語ったセリフが心に残った。

「殺されても仕方ない人間っていないと思う。でも、殺さざるを得ない事情を抱えてしまう人間っているんだよね」

その後、若者は愛用のロードレースをこぎながら画面は大きく道路の中ほどに移って行く。
そこに、大型トラックが画面一杯に近づいて来る。

切ない映画。

2003/03/30 ()  晴れ





一日のあれこれを済ませて、
「さあ、テレビでも観ましょうか」と、番組表をチェックするでもなくスイッチ・オン。
映し出された画面を観ると、
現在架け替えの真っ最中という錦帯橋の技術責任者・海老崎粂次さんがゲストの番組。
タイトルは「ようこそ先輩・課外授業」
地元小学校の6年生一クラスと、アーチ型の橋を組み立てるまでの特別授業だった。

故郷の錦帯橋。
見慣れた風景、聞きなれた言葉。
思わず見入ってしまった。

前回の架け替えは、ちょうど私の誕生年。
半世紀を経て、今また新しい木材で錦帯橋は生まれ変わろうとしている。

故郷の話し言葉の懐かしさ。
そんなことで涙腺を刺激されるようになるとは思ってみなかったけれど、
この世に在る年月を重ねると、涙の壷をひっくり返すスイッチの数も増えるのだろうか。

錦帯橋も一新する。
私も、この際、心機一転。
不思議な偶然に励まされる。

2003/03/29 ()  早朝 雨  のち  晴れ  ときどき  うす曇り





農業ボランティア二年目の活動説明を受けてきた。
少し時期が遅れ気味だけれど、さっそく来週はジャガイモの植付け。
その一ヵ月後は、ネギ栽培農家で実習。

こうして農作物を育て収穫する現場に立てることが嬉しい。

さあ!今年も始まるぞ!
と、心を新たにして帰って来た。

2003/03/28 (金)  晴れ





NHK「ふたりのビッグショー」に、なにげなくチャンネルを合わせた。
(チャンネルを合わせる、という言い方も古いなぁ〜)
ちょうど、過去10年間を振り返る特集だった。

わずか10年間の映像なのに、
今と比べると若かったなあと思わせる人、変わらないなあと思わせる人、
既に故人となった人、最近一時休養して復活した人、
顔ぶれはいろいろ。

出演した人のインタビューがはさまれていた。
その中で印象的だったコメントは、北島三郎さん。
「この番組の出演者の中では、一番古くなりました。
過去10年間に、ご一緒した方々の思い出はさまざまあります。
共演することで伝えていけることは、今のうちに伝えていきたい。
後輩達の成長の助けになれば、嬉しいことです」

細かい言葉の言い回しは正確ではないが、だいたい、こういった主旨。

どの業界も、この不況で若い人たちを採用できなくなっている。
芸能界は例外的に若い人が次々に出てくるけれど、世に名を知られるのは、ほんの一握りの世界。
一般の職場では、高齢化が極端にすすんでいるところもある。
その弊害は大きいと思うこのごろ。

若い人たちは年かさの先輩に仕事を教わり、
仕事に慣れきった熟年者は、若い人たちから柔軟な発想という刺激を受ける。
また、熟年者どおしが溜まってしまった職場のどうしようもない人間関係も、
若い人たちを意識して、人生の先達としての自覚とプライドを持てば、
そうそうはみっともないことはできない筈。

おそらく、先輩後輩の序列・礼儀にはうるさいであろう芸能界の一端を垣間見るステージマナーに、
こうしたことがウヤムヤにされている社会状況を考えさせられた。

作法は、形式から入る部分もあると思う。
まずは、年配者への敬意と若年者への寛容な配慮を表現できる風潮から取り戻したい。

10年分の「ふたりのビッグショー」の放送を観ながら、
そんなことを感じた。

2003/03/27 (木)  晴れ  午後 強風





スパゲッティならミートソース、たまに、ナポリタン、
昔は、パスタ料理で思いつくのはその程度だった。
最近は、イタリア料理のお店や雑誌で紹介されるレシピも種類が豊富になって、
見様見真似のパスタ料理を食卓に出すこともある。

そんな中で、最近よく作るのがぺペロンチーノ。
何より、混ぜ合わせる具が少ないのがいい。
味付けも塩・コショーであっさりと仕上げる。
ミニトマトとパセリを添えて彩りにする。
サラダを添えれば、なお良し。

レストランの仕上がりにはかなわないけれど、
それなりの我が家のスパゲッティ。

はぁ〜っ、しかし、料理のイロハも知らないところから始めて、
もう何年、こうして三食の心配をしてきただろう。
これから先、何年作り続けるのだろう。
こんなに料理の下手な母親の作った物でも、
それなりに喜んでくれるのは我が子ならでは。
(と言うより、それしか食べる物がないからとも言える)

美味しかった!今日のスパゲッティ。
こういうのを『自画自賛』と言います。

2003/03/26 (水)  晴れ





急ぎ足で歩くと汗ばむほどの陽気。
もう半袖にしてもいいかも知れないと感じた。

用事を思いついて高島屋に行くと、「プリンセス ダイアナ展」が催されるというチラシが目にとまる。
展示品は、ダイアナ妃の実弟スペンサー伯爵の厚意により貸し出されたというゆかりの品々。
1981年の盛大な結婚式に着用されたあのウェディングドレスも含まれている。
週刊誌などで何度も見たことのあるドレスやティアラの写真も載っている。
ということは、ダイアナ妃が亡くなった後に、これらの遺品はご実家に帰ったということなのだろう。

物は、使わなければそれだけの存在でしかないけれど、
いったん、誰かの手に触れ愛用されると、ただの物とは言えない感情を呼び起こす存在になる。
これらのダイアナ妃の遺品は、見る者に、どんなことを語りかけてくるのだろうか?

4月2日〜14日、覚えていたら行ってみようかな・・・

2003/03/25 (火)  雨





一日中シトシトと降る春の雨。
ベランダから下の公園をみおろすと、桜のつぼみがハッキリと白く丸く膨らんで見える。

2003年も三分の一が終わろうとしている。
こうして年月を数えるようになったら年取った証拠だと誰かが言っていた。
今年は特に、時間や日にちや月数を数えながら過ごしている。

わたくしごとも世界情勢も
「雨ふって地固まる」
となりますように・・・

2003/03/24 (月)  晴れ





コブシの木に白いつぼみがついていた。
幾つかは、花びらが開き始めている。
ああ、もうそんな季節なんだと、コブシの白が目にしみた。

子ども達が卒業した小学校には、コブシの古木があった。
創立百年を過ぎたその小学校の歴史を眺めてきた樹木のひとつ。
他にもクスノキの大木がある。
これらの樹木は、校歌の中に歌いこまれている。

まだ枯れ木ばかりの林の中で、
あたかも白い小鳥が無数に止まっているように咲くコブシ。

春の訪れ。
私の心にも咲け、純白のコブシの花よ。

2003/03/23 ()  晴れ





ほぼ一ヶ月近く受け取りに行かなかった服を、クリーニング店に受け取りに行った。
自宅のすぐ前にあるお店なのに、一旦帰宅してしまうと、わずか5−6分で済む場所にも出たくない。

「こんにちは」「長い間預けてしまって済みません」
と言いながら、預り証を財布から出そうとゴソゴソやっていると、
品物は既にカウンターの上に。

確かに顔と名前は覚えてもらってはいるのだが・・・
それにしても、すばやい対応。
う〜ん、さては、いつまでも受け取りに来ないと思われてマークされていたのか?
店員さんの顔色を窺うと、いつもは愛想よいのに、今日はムッツリ。
迷惑をかけちゃったかなぁ〜(ゴメンなさい)

***

報道機関では、イラクの様子を連日伝えている。
そんな報道の中で気になることがある。
それは、従軍の女性記者を派遣している日本のテレビ局があること。

男女同権や女性の職場の拡大ということに異論はないけれど、
男性ばかりの軍隊に、同行する女性が一人いるということの影響を考えると、
素直にその勇気(?)を肯定する気にはなれない。

進軍前の司令部からのリポートでは、通常の取材現場と同じような身支度。
進軍中の砂漠からのリポートでは、バケツ一杯の水でシャンプーをしてみせる。
『戦争』という、究極の状況で、しかも周囲は男性ばかりという中に、
あえて自ら志願したという女性リポーターと、その希望を聞き入れて彼女を派遣したテレビ局の見識を知りたい。

目新しいもの、初めてのことを狙うという報道の宿命もあるのかもしれないが、
圧倒的に男性兵士、しかも、身体的・精神的に相当な極限状況に置かれると想像される戦場にあって、
そこに女性が、しかも兵士ではない女性がいることの迷惑はないのだろうか?

いろいろなことを思い巡らせると、彼女の戦場レポートから目を背けたくなってチャンネルを切り替えた。

戦争はエンターテイメントではない!!

2003/03/21 (金)  晴れ   (春分の日





午後、墓参り。
うらうらとした陽射しに誘われて、テクテクと歩いて行く。
途中の公園では、ゲートボールに興じる人々が集っている。
その公園にある桜の古木に、花はまだ見られない。

久しく空いていた、我が家の墓の周辺を求めた人がいたらしい。
何本かの木製の名札が地面に挿してあった。
どうした偶然か、我が家と背中合わせの名札は「山口さん」。
山口県出身者の背中合わせが「山口さん」とは・・・
些細なことにも因縁を感じようとする自分が可笑しい。

***

悩みや苦しみも、自分のそれまでの人生の幸福な時と比較するからであり、
悩み苦しむ日々が日常と思えば、人はその状態に慣れ、受け入れていけるものだ。
常に『あるがまま』に。

深層心理に眠る無意識を探り、それを意識化することで、
悩みを克服させようとしたユングやフロイトのヨーロッパの精神医療に対して、
いま抱える煩悶や苦悩の意識を、あえて無意識の領域に留め、
「あるがまま」に現実生活を暮らすことを提唱するという、
独自の精神療法を確立した森田正馬(もりたまさたけ/しょうま)さんという精神科医がいた。

悩みや苦しみ、こだわりも全ては完全に拭い去ることはできない。
それらを、できる限り意識に上らせないように、関心の方向を多角的に持ち、日々を忙しく暮らすことが良いという。

森田正馬さんの人生観は、日本人にとってなじみが良さそうだ。

2003/03/20 (木)  晴れ





二年前の今日、私はインターネットに自分のHPを公開した。
他人の意見に耳を傾け、自分の意見も聴いてもらえるなら、
どんなに嬉しかろう、という思いからだった。

昨今、現実生活において、他人の意見をおろそかに扱う風潮があるような気がしていた。
たとえ対立する考えでも、相手が切々と訴えているならば、その真意を汲もうとするのが成熟した大人だと思う。
面と向かっての話し言葉では難しくとも、ネットは文字の世界、ここに私の考えをそっと置いてみようと思った。

公開して間もなく、管理の不慣れから幾つかのトラブルを抱えてしまったけれど、
二年を経てみると、あの時のあれやこれやは、インターネットの交流に関して大いに勉強になった。

ほんとうに、人はそれぞれだと思う。

そして今日、それぞれの思惑を抱えて戦争が始まった。
午前11時30分、イラクの首都バグダッドへの爆撃の模様がテレビに映し出される。
あの閃光の下には、逃げ惑う幾千、幾万の人々がいる。
その様子をテレビで見つめる私の周囲には、差し迫った命の危険は、今のところ無い。

人間は『言葉』という手段を持ちながら、言葉に翻弄されたり言葉を生かせなかったりする。

インターネットによる発信を、「たかが仮想の世界」にしない為には、ネット利用者の現実生活の充実が欠かせない。
地に足をつけた誠意あるネット発言が、世界を動かしていけるようになれば良いのに、と祈っている。
実際に世界に出かけていくことはできなくても、ネット上では、いつでもどこにでも出かけて行って発言できるのだから。

今朝聴いたFM放送で紹介された、心に響く言葉。

愛することの反対は  恨むことではなく  無関心でいることです・・・マザー・テレサ

そして今、手元にある「ほほえみ〜マザー・テレサのことば」というちいさなちいさな本の中から・・・

貧困をつくるのは神ではなく  私たち人間です  私たちが分かち合わないからです・・・マザー・テレサ」  

2003/03/19 (水)  晴れ





大きな仕事を一段落させて、ホッ!
暖かい春の一日。

そんなことを言っていられない世界情勢がありながら、
しばしくつろぐ日常生活。

ソメイヨシノの開花情報が、南の方から始まったらしい。
今年はどこかに桜を観に行こうかな・・・

2003/03/17 (月)  雨





弱いもの、数を頼めないものが住みづらい時代かもしれない。
厚かましく無神経に、ごり押しするものがたくましく生き残っていくような気がする。
「衣食足りて礼節を知る」
混沌として殺伐とした、本能むき出しの生存競争が激しくなるのかな?
何となく不気味な予感。

2003/03/16 ()  晴れ のち 曇り のち 雨





この国は、どうなってしまったんだろう?

いじめ・疎外・怠け・嘘・驕り・裏切り・礼儀知らず・・・・・・・

子どもたちの話ではない。
“大人”と呼ばれる年齢の人間のすること為すこと、の話。

昔、この国には【作法】というものがあった。
人と人が触れ合うときの、ある一定の形である。
まずは、そうした礼儀にかなう対応から始まり、
親しみを深めていくに従って形を崩し打ち解けていくのが手順だった。

とは言え、「親しき中にも礼儀あり」と言われ、
謙虚である事がこの国の殆どの人の美しいところだった。

こうしたことがお座なりになってしまったのは、いったい、いつ頃からだろうか?
今ではすっかり【不作法】がはびこっている。

何とかしたい・・・
力が及ばない・・・
でも、諦められない。

「思いはなかなか伝わらない」
最近、同じ言葉を残して、自ら命を絶った人がいる。

2003/03/15 ()  曇り





時々ふっと不安になる。

文字ができて記録が始まり、歴史が積み重なって記録の量はどんどん増えていく。
人が暮らす周辺には、印刷物が溢れかえり、今ではインターネットという膨大な情報源さえある。
これからも歴史が続いていく限り、記録や情報の量は、増えることはあっても減ることはない。

読めないままに積み重なっていく新聞や雑誌の山を横目にしながら、
明日の仕事の為には睡眠を確保しなくてはならない。
読めなかった活字に、なんとなく罪悪感を抱くのは、
印刷文化で育ったアナログ世代の証拠か。

これからの人は、どれだけの情報を選択し、どれだけの情報を切り捨てていくかが課題かもしれない。
全てを知ることはできないし、知る必要もない。

とは言いながら、見損なった情報に、なおも未練のかけらを感じてしまう。
ほんとうに知らなくてもよかったのだろうか?

時々ふっと不安になる。

2003/03/14 (金)  晴れ





ようやく春めいてきた空気に、心と体がときほぐされるようだ。

銀行のATMを利用した。
さて用件を・・・と機械の前に立つと、打ち込みモニターの横に大型封筒が。
住所氏名が書かれた郵便物だった。
場所は、私の住まいからほど遠くない地名になっている。
届けてあげることにやぶさかではないが、
見知らぬ人間が郵便物を持って訪れても不審がられるかもと、ATMのすぐ傍にある交番に届けた。

「あ、ちょちょちょっと待ってください。書類にお名前の記入をお願いします」と、急ぐ私を呼び止めるおまわりさん。
「え〜っ、たかが封筒一通なのに・・・」と思ったけれど、警察には警察の手順もあろうかと、
交番の中に半身を入れ、手だけ伸ばして大急ぎでカウンターに置かれた書類に署名する。
それにしても、半身を入れただけでカウンターに手が届くなんて、やはり、中に入りたくない人は多いと見える。

「はい、ここの(権利放棄)にチェックしてください」
(ははは、この封筒の何割かをお礼に上げるといわれてもね)と可笑しくなった。

その封筒の差出人は【警察庁人事局・警察官募集要項】と印刷されていたのだ。
この時期だから、おそらく、警察官志望の若者が置き忘れたものだったのだろう。
それにしても、警察関係書類を警察の交番に届けたことに意味もなく洒落を感じて、一人で楽しんでしまった。

封筒の持ち主たる若者よ、こんな大切なものを忘れてはイカンゼヨ。
しっかりしてね、将来の警察官さん。

春の陽気に誘われて、ボンヤリする人が増える頃なのかな?

2003/03/13 (木)  晴れ





今日は嬉しいことが重なった日だった。
重苦しい胸のうちを軽くするような出来事。

その一つ、短歌の入選。
福井県武生市蓬莱町が募集した「恋の歌」に入選の知らせ。

昨年、郵便局のカウンターにこの募集のチラシが置いてあった。
以前、人を想った時の気持ちを詠んで応募した。

片想いだったら、何度しても良いと思っている。
「あの人が好き」「あの人に好かれる私になりたい」
そう思って自分を磨こうと努力する。
その人の目に触れる時には、綺麗な自分を見て欲しい。
そんな朝は、身につける服の色が柔らかく温かみのあるものになっている。
髪型にも気を配り、顔も薄く化粧をほどこして・・・

片想いだから誰にも迷惑をかけることなく、ただその幸せ感だけで、誰に対しても優しくなれるような気がする。

「告げぬ恋」なので、進展することもない。
いつか別れがきても、
「恋をした」という温かい思い出と、
少し成長した自分がそこにある。

2003/03/12 (水)  晴れ





美容の世界では知らぬ人はいないと思われるメイ牛山さんの記事にお目にかかった。
92歳とはとても思えないつややかな肌、シャンと伸びた背筋。

いわく「美容の基本は健康です。食事・睡眠・排泄をきっちりとしましょう」

なるほど、なるほど・・・

いくら外見的に整えてみたところで、美しいと思うには無理があるケースは多いもの。
内側からきれいにすることが、そのまま、外側から見る美しさに結びついていく。

日本人にとって、肉食中心の欧米型メニューは合わないので、
メイさんは、早いうちから野菜を多く取り入れた和食に切り替えたという。
その土地土地に合った食事を摂ることが大切なのだということ。

全ては基本に忠実に、ということかな。

2003/03/10 (月)  晴れ  風少々





いつもの自分だったら、「エイッ!」と気合を入れれば何とかなるのに、
しぼみ始めた風船のように、日に日に、心の弾力性をなくしていた。
年齢的な作用が大きいと頭ではわかっていても、けっこう辛い。

今日、外に出て明るい太陽の光を浴びたら、
充電メーターがグングン伸びていくように、力が身体にたまって行くのを感じた。
太陽の力は偉大だなぁ、と思った次第。

気落ちする、気が抜ける、などと表現されるけれど、
目には見えない『気』の力はあなどれない。

2003/03/09 ()  晴れ  風





差し迫った状況のイラク攻撃問題に気を揉みながら、凡々と一日が終わる。
個人的にも、日常生活にそれなりの波乱を抱えながら、それでも、生きている。
なかなか、『何もない』という現実は続かない。

テレビを観ていたら、ある週刊誌に「子どもの足が危ない」という特集記事が載っていることを紹介していた。
専門医の立場からも、子どもの足の変化に警告が発せられているらしい。
つま先が地面に着かない「浮き足」とか「偏平足」などが増えているのだそうだ。

私も、街を歩く若い人たちの歩き方が、常々気になって仕方がない。
歩き姿が変なのである。
もちろん、姿勢も良くないけれど、それにも増して足の運びやつま先の向き具合などがおかしいと思う。

「脚は第二の心臓」と言われているそうだけれど、あんな歩き方をしていれば、
さぞ、あちこちに不具合が生じているのでは?と、余計な心配をしてしまう。

生物としての人間の進化というのは、これからどうなっていくのだろう?
こればかりは、たかだか100年にも満たない人生の間には、確認のしようがないことなのだけれど、気になる。

何億年という気の遠くなるような年月の間に、発生しては消えていった生物たち。
その中に位置する人間。

不思議なことは、まだまだ多い。

2003/03/07 (金)  雨





久しぶりに心に染み入るような良いドラマだった。
フジテレビ「闇に沈む殺意」

主演の余貴美子さんの抑えた演技も良かった。
ストーリーの運び方も、最初から結果が見えるようなサスペンスドラマが多い近頃、
「犯人は誰だろう?」と思わせながら、最後になって「ああ、そういうことだったのか」と自然に判明する。
逮捕の場面も、仰々しくなくて好感。

幼い頃から、傍目には仲の良い姉妹として映っていた二人の胸の奥に、
誰にも言えない寂しさやうらやましさがあり、その感情が事件に絡んで微妙な影を落としていく。

明るく振るまう妹が、必ずしも晴れやかに心軽い人と言うわけではなく、
いつも控えめで、どちらかと言うと暗いという印象を周囲に持たれる姉が、人間的な魅力に欠けるわけではない。

生きることに不器用な人が最後に幸せになる話は、嬉しい。

2003/03/06 (木)  晴れ  のち  曇り  ときどき  雨        啓蟄





踵のあかぎれが、また切れてきたようだ。
乾燥と低温は肌の大敵。

このあかぎれ体質というのは、どうやら親ゆずりらしい。
母の踵も、硬くなった角質がパックリ割れて、痛々しそうだった。

このささくれは非常に厄介もの。
ストッキングや柔らかい布地のスラックスなどに引っかかって、伝線させたり糸を切ったりする。

気温や湿度にも敏感で、ちょっと痛みが和らいだかなと思うと、案の定、寒さが去っている。

それにしても、歩くと痛いんだな、これが・・・

2003/03/05 (水)  晴れ





複雑な背景を抱えて世界情勢が緊迫している。

戦争が始まると、殺しに行く人も殺される人も、何の罪も無い人たちになる。
攻撃される原因を作った人間と、攻撃することを決定する人間は、いつも安全圏にいる。
そのことが、何とも納得がいかない。

世界中の人は誰も、いずれかの国家に所属している。
そこには必ず政府があり、リーダーがいる。
賢明かつ冷静かつ公正な判断のできる人物をリーダーに仰ぎたい。

今、報道に名前が登場するリーダーの多くは、
自ら志を立てて国民に信を問い、手を挙げた人たちではない人物が多いような印象を受ける。
親が得た権力を継承したリーダーが、
「国民」という名でひと括りにされた個人個人の生活にどれほどの責任を感じているだろうか?

自らの命運を預ける人選びは難しい。
一方、選ぶこともできない国に暮らす人々もいる。

人は生まれる前に、自分が生まれる国を選べない。

2003/03/04 (火)  晴れ  冷たい北風、強風





しぼってもしぼっても、ジワリと水で重くなる雑巾のような気持ちを抱えている。
まるで今年の春の空模様のように、なかなか晴れない。
クタクタに朽ちてちぎれてしまわないうちに、と思い切って早退して映画を観た。

「黄泉がえり」
さして期待もせずに席に着いたのだけれど、観終わってみると、考えさせられることが多い。

九州の山奥に突如出現した巨大なクレーター。
その周辺地区に限り、死者がよみがえる現象が続発する。
よみがえる死者には、いずれも、「会いたい」と強く願う人がこの世にいる。
そして、その人のもとに死者はよみがえってくる。

遊びの途中で行方不明になった子ども。
いさかいの傷害で亡くなった夫。
病気で旅立った施設暮らしの兄弟の兄。
いじめを苦にして首を吊った高校生。
たまたま乗せてもらった車の事故で、自分が死んだことも自覚していないヒロイン。

彼らは結局、再び黄泉の世界に帰って行くのだけれど、
『想いを伝えきれずに別れた死者が、もしも、今一度よみがえったら・・・』
という仮定で進行する話は、現実生活での人との関わりを見直させる。

愛情に条件をつけず、人を慈しんでいるだろうか?
自分を大事に思っている人のために、無茶を慎んでいるだろうか?
死の選択を余儀なくさせるまで、誰かを辛い目にあわせていないだろうか?
自分をいとおしく思ってくれる人の気持ちに、今、気づいているだろうか?

死は、想い合う者たちを切り離しはしない。
死者の魂は、生きてこの世にある者の生活全てによみがえり、遺された者たちを生かしていく。
いずれは誰しも黄泉の国へと旅立つ日が来る。
何気なく過ぎる日々と人々を、決しておろそかにはできないと、つくづく思う。

2003/03/03 (月)  曇り  のち  雨   ひな祭り





いっときの春、柔らかで優しい春一番の風が吹いた。
待ちに待って、待ちくたびれてしまった、春。
今年は、春の訪れが遅い。
午後からは、予報どおり雨。

大好きだった洋画を観なくなって久しい。
今晩は久しぶりにBS放送で洋画鑑賞。
たちまちよみがえる、かつての自分。

忘れていたんだなぁ・・・あの気持ち。
もう一度取り戻そう、あの頃の私。

今夜は気持ちよく眠れそう。

2003/03/02 ()  晴れ  強風





夜半より吹き荒れた風は、午後遅くになって静まった。
明日の節句を前に、今日の夕食をチラシ寿司にしてみた。
こうして食卓にも季節感を取り入れようなんて、これまでは思ってもできなかった。
やっと、気持ちにゆとりができたと言うことか。

日曜日の午前中はテレビで一週間を振り返り、
各界の著名人のコメントを聴きながら、現在の国内外の情勢について考えるのが習慣になっている。

どうなるのか・・・?
情勢がどうなろうとも、その時に自分はどう考えて如何に行動するか、
一応、頭の中でだけでも組み立てておいた方が良さそうだ。
だれが何時なんどき当事者になるか、誰にも予測不可能なのだから。
危機管理とは、そういうことだと思う。

2003/03/01 ()  曇り  ときどき  雨





毎年、春になると気にかかる数本の白梅がある。
いつも通る道とは反対方向のため、何かの用事で通りかかるか、わざわざ見に行くかしなければお目にかかれない。

今日たまたまその傍を通った。
肌寒い小雨の中で、チラホラと咲いていた。
今年は、春とは名ばかりの寒さが続いていて、梅の花もいまだ冬眠から覚めやらずといった風情。

早く暖かくなって欲しいなあ、と思いつつ横を通り過ぎた。

映画でも観るか、と思いつつも行動に移せないでいる。
春は暦の上ばかり・・・