2003/02/28 (金)  晴れ





メールの友人が、長いテキストメールを送ってくれた。
内容は、大峯顕:著 「宗教への招待ー宗教再生のためにー」という本からの抜粋。
著者の大峯顕さんは、大阪大学名誉教授で文学博士、専攻は哲学・宗教学。

「自分は何者?どこから来て何を為してどこへ行くのか?」という命題は、考え始めるときりの無い無限の迷路にさ迷いこむ。
そこに筋道を立て、把握したような錯覚に到達しようと思うと、頭の中は極度に疲労する。
とても自分の手におえる問題ではないと、結局は「だいたいこんな感じ・・・」ということで思考を打ち切っている。
ところが、この命題は何度でも繰り返して私に思考を促す。

物理的ではない根源的な宇宙に、かりそめの身体という容れものを与えられて現世の意識を獲得して生きる存在。
物欲、食欲、名声欲、生命欲、あらゆる欲求から自由になれたと思っている人でも、『不安』は最後まで残る。
宗教はその『不安』がゆえに存在する、と。

*この場合の(宗教)とは、特定の教義に基づく各種宗教(仏教・キリスト教イスラム教など)ではない。

ある時から私は、身体とは単なる被り物に過ぎず、
その薄皮一枚の肉の内外(うちそと)には同じ宇宙が広がっているのだと思うようになった。

我々は広大無辺の宇宙に想いを致すことができる。
その時宇宙は、身体の外に広がっているようでいて、実は、身体の内側にも広がっているのではないだろうか?
思考と言う二本の無限直線が内と外に向かって×で交差している。
その交差点が、被り物である身体の薄皮のような気がする。
その宇宙に想いを馳せるとき、自己は既に宇宙に呑み込まれ宇宙内存在として意識されている。
そして同時に、言い知れぬ『存在の不安』が生じるのではないだろうか?

キェルケゴールの「死にいたる病」という本のタイトルに、若い頃から心惹かれていた。
難しすぎる内容だろうという諦めと、原著では到底読めないし翻訳では真意が掴めないだろうということで、この本を読んだわけではない。
なのになぜか、このタイトルは私の心を離れない。

今回、友人が送ってくれた抜粋の中に、この「死にいたる病」に関して触れた部分があった。

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(前略)

キェルケゴールは罪を問題にした『死にいたる病』(1849年)の中で、絶望とは死にいたる病だと言っている。
死にいたる病とは人間の精神つまり自己の病のことで身体の病ではない。
身体の病はどんな深刻な病であっても、死ねば消失する。
しかし、精神もしくは自己という永遠なるものの病は死をもっては決して終わらない。
絶望とは死んでも死にきれない精神の永遠の病である。

仏教だけでなく、キリスト教の立場においても、死はすべての終わりではなく、それ自身生への移行である。
人間が精神であるかぎり、すべての人間はそういう絶望をまぬがれない。

(中略)

この罪の解放が、身体の死をもっては決して終わらない自己というものの永遠のテーマなのである。
キリスト教も仏教も罪悪において、人間における永遠なる問題を見ているのである。


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ふと、
「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人おや」「仏道をならふといふは、自己をならふなり・・・」
などといった仏教関係の古典の言葉が思い浮かんだ。

何が分からないと言って、自分ほどわからない存在はない。
自分がわからないのに他人のことがわかるわけはない。

キェルケゴールのいう『絶望』を抱える日々。
その著書を読んだわけではないのに、現実はすでに「死にいたる病」のまっただなか。

日常で意識するしないに関わらず、人はみな同じ状況を背負っている。
全ての人が必ずこのことを意識するとき、それは身体の死に直面する時らしい・・・

そこに、【宗教】を考える意味が存在する。

2003/02/27 (木)  晴れ





株式会社の病院・学校経営を認めようという方向に話が進んでいると報じられている。
こうした話と言うのは、ある期間多くの人の意見を求めてから決定しているのだろうか?
また、そんな提案をだれがどこから提出したのか?

最近ニュースに触れる機会が少なくなったので、そう思うのは私だけかもしれないけれど、
関心のある重要事項が報じられて目に付くときには、既に決定されていることが多い。

「いいのだろうか?」「それで本当に良いのだろうか?」「その決定は誰の意思だろう?」
ニュースを聞きながら、そう思う。

別に、病院・学校を株式会社が経営することに異議を申し立てているのではない。
そんな苦肉の案を決定する前に、
従来からある施設のあり方に関して真剣な見直しと改革の努力があってしかるべきだろう、と思うだけ。

近年、公的、半公的な施設・機関・人材を民間に移行する傾向が目立つように感じる。
従来の形で、なぜ円滑な成果が得られないのかを検討して改善努力をすることもなく。
悪い部分を内部で治せないからと、
別の人にポイッと預けてしまっているようで無責任きわまりない行為ではないか。

とまあ、もろもろ納得いかないことが積み重なると、ぼやきが出てくるのです。

こうなると、最後は政府や国会も株式会社が運営するのか?

2003/02/26 (水)  曇り





「暑いですね」「寒いですね」「雨になりそうですね」・・・
時候の話題は無難な会話の基本。
決まりきった内容を意味の無いものと軽んじるむきも有るかもしれない。
私も若い頃は特に、そんな傾向があった。
が、このごろは違う。
何気ない時候の挨拶の裏には、それぞれの人の思いが山のようにずっしりと控えているように思う。
そんなことを察知しながらも、さも気づかぬかのように、「そうですねぇ」「まったく、まったく」と応える。
これも、お互いの距離を適度に保つ為の、ひとつの知恵なのかもしれない。

同じ「寒いですね」でも、そこに込められた気持ちは、そのつど違う。

2003/02/25 (火)  晴れ





2/22(土)の日記に「心の在り処はどこだろう?」と書いたばかり、
今日は、その「心の在り処」に触れるような文章に出会った。

筆者は茂木健一郎(もぎけんいちろう)さん。
彼は、ソニーコンピュータサイエンス研究所のりサーチャー。
(脳と心の関係)を研究テーマとされている由。

いかにも科学系の人らしく、彼は心を脳内の神経細胞が作り出す脳内現象としてとらえている。
(これは、そこに異論を唱える表現ではなく、単に文学的・情緒的な心のとらえ方と比較して、ということ)

文章のテーマは『断絶の向こうの他者の心』。
我々はよく「だれそれに理解された」とか「判りあえた」とか思うことがある。
しかし、本来別々の個体である自分と他者の脳内の神経伝達は物理的につながるはずは無く、
「理解した、された」と思うのも、結果的に「そう思い為している」に過ぎず、
他者の心の完全な理解などはあり得ない事を認識したほうがよい、ということ。

例えとして、「東京物語」という映画で笠智衆さん演じるところの老父の心象が挙げられている。
どんな時にも穏やかな笑みを浮かべ、一見、全てを受け入れ許す諦念の人かと思えるこの老父の本音に注目する。
尾道から東京へ、子どもたちを訪ねた老夫婦は、期待に反して子どもたちの冷淡な対応を受ける。
それでもニコニコと、老父はその子どもたちの冷遇を悪意に受け取らぬかのよう。
しかし、旧知の知人と酒を飲む場面でポロリと本音をもらす、という場面。

映画の観客は最初、この老父を(不満を抱かぬ好々爺)として【理解】したつもりになるだろう。
ところが、彼がポロリともらした本音から、老父は観客の理解とは異なる心を見せる。
そこで観客は、老父への理解が自分の思い込みであったことを知り、一瞬はっとするのである。

私たちは、この映画と同じようなことを日常生活でも頻繁に経験する。
そんな時私たちは「裏切られた」とか「意外だった」とか思う。
しかし、もともと別の体内に隔絶された脳内活動どうしが、完全に同じ理解を獲得出来るわけが無いと思えば、
そうしたことも当然の現象として受け止められる。

なるほど、なるほど、と興味深く読んだ。
となれば、「親しき中にも礼儀あり」という教訓は、
脳に関する詳しい研究がされていなかった昔から、
別々の肉体を有する個体どうしが誤解を避けるために心得なくてはならないことだと、
経験を通して知っていた先人の教えということになりそうだ。

色々なことを知ることは、何にも増して刺激的で面白い。

2003/02/24 (月)  雨  のち  雪





1963年10月〜1982年3月まで19年近くの長期にわたって、
NHKで放送された「新日本紀行」という番組に関して書かれた記事を読んだ。

あの番組は好きで、毎週の放送が楽しみだった。
耳に馴染んだテーマ曲が流れると、
今日はどんな風景が映し出され、そこに暮らす人々はどのような表情をしているのだろう、
そんな期待を抱かせた。

今思えば、あの当時私が暮らしていた環境も、
十分に「新日本紀行」の対象となるような、一地方の山村であったわけだが・・・

高度成長の波が遅れて届く田舎に住んで、旅行もめったに行けないとなれば、
テレビが伝える映像は興味津々の情報源だった。

人々が豊かになり、旅行も頻繁になり、各地でお目にかかる物や人も画一的になっている現代、
あの山にはどんな風が吹き、あの川にはどのような魚が棲んでいるのだろうと想像をめぐらしながら、
いつかその地を訪れることを夢見る楽しみは減少した。

くだんの記事の中に、映画監督である山田洋次さんのコメントがあった。

*************

番組に登場する人たちの顔がとてもいい。今はもう見られない顔がある。
そこから、この国がいかに多くのものを捨ててしまったのかと思う。
今の日本はどこかに戻る必要がある。
それにみんな気がついてきた。
今ならまだ間に合う気がする。


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い〜い番組だったなぁ・・・「新日本紀行」

2003/02/23 ()  曇り





ベランダに鉢植えしてあるカタバミに黄色い花が咲いている。
もう一つ、別の種類のカタバミには蕾がついている。
気づかぬうちに春が来ていた。
うかうかと浮世の波に揉まれているうちに、着実な季節の歩み。

ずいぶん久しぶりに、最も人間に近いと言われるボノボの消息を伝えるテレビ番組を見た。
発見されてから80年、日本人の研究者が調査を始めてからまだ20年しか経過していない。
私がテレビで知ってから約10年。
人の足跡がしるされない土地はない位に思われる地球上で、
発見されないままにひっそりと長年暮らしてきたのだという。

ところが、今日見たレポートに登場したボノボは、行き届いた保護区に暮らしていた。
人間が見つけて100年も経たないうちに、野生の群れは絶滅寸前になっているという。

つい最近読んだ記事に「一番凶暴な生物は人間です」と書いている人がいた。
いろいろなことを考え合わせてみて、そうかも知れないと思ってしまう。

人間に一番近い類人猿ボノボが、チンパンジーや人間と違うところは、
決してボノボ同士の殺し合いはしないということだそうだ。

ボノボは、争いを避けるために相手の目を見て顔色を読む。
さまざまなコミュニケーション手段を持てば持つほど、
人は、自分以外の人間の感情に鈍感になっていくような気がする。

2003/02/22 ()  曇り  ときどき  小雨





どうやら停滞しているようだ。
ほかでもない、私の心のこと。
何を考えても良い方向に羅針盤の針が向かない状態が続いている。
別にとりたててこれといった原因はないけれど、沈む。
こうした時期は、じっとして黒い雲の過ぎ行くのを待つしかない。

心ってどこにある?
頭蓋骨の中に収まっている?
それとも、心臓の中で次々に造られて、赤い血となって全身に行き渡っていく?
不思議だなあ、つくづく不思議だ。

心なんか無くっても良い?
そうはいかないんだな、これが・・・
苦しいのは嫌だけど、ときどき感じる喜びや幸福は捨てがたいんだな。
きっと、その為だけに、心を捨てないでいるのかも知れない。

心は一生けんめいに喜びたがっている。
心はいつも「ここ、ここ、ここにいるよ」と叫んでいる。
なのに、掴めないんだな、心。

な〜に考えているのだか、土曜日の午後。

2003/02/21 (金)  晴れ





やっと週末、金曜日。
あっという間の一週間という時もあれば、まだかまだかと週末を待ち望む時もある。
全ては心身のコンディション次第。

今週は長く感じる一日一日だった。

先が見えない不安というのは時間の経過を遅く感じさせる。
先なんて、誰にも何時のときも分かりはしないのだから、
心配するだけ無駄なのだけれど、それでも、思い悩む。

結局、「どうにかなるさ」ということで、週末に気分を持ち直す。
さあ、明日あたり美容院に行って、髪でも切って気分転換をしますか!

今夜は最高!(週末の)今夜が最高!

2003/02/19 (水)  晴れ  





心配事や揉め事が解決することを“春の訪れ”に喩えて表現されることがある。
いわく「雪融けがすすんでいます」とか、ズバリ「春がきました」とか。

トラブルは、人の心を冷え冷えとさせる。
憂いごとを抱えていると、体全体がこわばって、肩もこるし頭も重い。
自然現象の寒さからも、同じような身体現象が表れる。

とかく物事に性急な現代人は、「雪融け」を急かしてしまいがちなのだけれど、
事を急いで良い結果を得られることはないように思う。

自然の春も、来るときには来る。
憂き事も、去る時期が来れば去っていくだろう。

あるがままに、そのままに、ただ生きていく。
この『ただ』が難しい。

2003/02/18 (火)  曇り  一時  小雨  寒い





今日は、01年に発生した歌舞伎町ビル火災の管理責任を問われて、
当時の営業責任者やビルの持ち主らが逮捕されたことが大きなニュース。

そしてもう一つ、韓国・テグ市では、地下鉄火災で大惨事が発生した模様。
死者100名以上、負傷者も100名以上。
病院の処置に不満を抱いた男が、病院に放火するつもりだったという。
事故原因は、これから究明されるだろう。

それにしても、こんなニュースを見ると「すわ!!テロか?」と思ってしまうというのは・・・
なんとも物騒な社会状況。

誰も、これから近い時間にどんな危険に遭遇するかなんて予測はつかない。
いざ緊急事態!という時に、果たして自分がどんな行動をとれるのだろうか。

今日のこれら二つのニュースは、“火災”という共通項ではありながら、
一方は防ぐことが出来たケース、他方は予測不可能なケースだったような気がする。

世界的な治安の乱れはないだろうか?

2003/02/17 (月)  晴れ





「あわれ」という言葉に心惹かれる。

「あわれ」の意味合いは、負のイメージから正のイメージまで広く包括する。

いたいけな子どもを愛しく思うのも、あわれ。
美しいものをみて感動するのも、あわれ。
成功を収めて得意満面であるのも、あわれ。
憎しみあう必要の無いことに憎しみを抱くのも、あわれ。
どんなに意気消沈しようと、栄華に浮かれようと、あわれ。

全ての事象が同じ「あわれ」で表現できるのなら、
むやみに、妬んだり嫉んだり憎んだりせず、
「あわれ、あわれ」と言い為しながら、
そっと生きているだけでいいではないか・・・そう思う。

2003/02/16 ()  雨  時々  みぞれ





pm2:00〜3:30 テレビ朝日 人間ビジョンSP 「霧の日記〜アリューシャンからの伝言」を観る。

太平洋戦争当時、日本は、南方の攻撃からアメリカの目を逸らすために
アリューシャンの港を攻撃し、アッツ島に2500人の兵士を囮として上陸させた。
その中に、33歳の辰口信夫さんという軍医の見習士官がいた。

彼は戦前、アメリカの大学で医学を学び、日本に帰国してわずか数年で召集され、
直後にアッツ島へ上陸することになる。

年間200日近い日々が雨と霧の天候だというアッツ島で、
死の直前まで綴られた日記をもとに話が進行していく。

捕虜となった20数名を除き、兵士は全滅。
戦いが終わり、日本軍の荷物などを調べていたアメリカ兵が、野戦病院で不思議な物を発見する。
英語で書き込みのある英文の聖書と一冊の日記だった。
その日記の持ち主が、辰口信夫さん。

アメリカ兵はその日記を持ち帰り、ニー三日のうちに英訳コピーをしている。
日記に書かれた名前を知って驚く、アメリカ側の一兵士。
彼は、辰口さんとはアメリカの大学を同期で卒業したクラスメートだったという偶然。
そして、おのおのの兵士がそのコピーを持ち帰り、
60年を経た現在でも、Dr.Tatsuguchiの日記はアメリカ人の知るところとなるのである。

では、なぜこれほどまでに、その日記がアメリカの兵士を惹きつけたのか。
それは、死を直前にした辰口さんが書き残した最後の言葉にあった。

「天皇陛下万歳」の後に、
いとしい妻へ、幼い長女へ、まだ生後二ヶ月で父の顔を知らぬ娘へ、
思い出す懐かしい人々へと綴られた別れの言葉。

攻めても攻めても降伏しない日本兵を、アメリカ兵は攻め行くほどに気味悪がった。
日本兵は(戦うロボット)かとさえ思えて、そこに人間的な見方を見出せなかったという。
ところが、この辰口さんの日記は彼らに深い感動を呼んだ。
食料に事欠き、戦えぬ負傷者は味方の手によって死なさしめ、
アッツ島の深い霧の中を歩きながらも人間的な思考を失わなかった一人の日本兵。
その日記の最後は、妻へ子どもへ向けられた愛の言葉で終わっていたのだ。
祖国に妻や子どもを残して従軍しているのは、アメリカ兵士も同じこと。
戦った相手が、血肉通わぬ「モンスター」ではなく、同じ感情を持つ人間だったことに感動したのだった。

*********************

どこかで戦いが起きる度に思う。
実際に戦場で命をかけて戦っているのは、
誰かの子どもであり、夫であり、父親であり、友人や知人なのだと。

今また、戦争を始めようとする人がいる。
失いたくないものを失わないうちに、止められないものだろうか。

2003/02/15 ()  晴れ





有名なお酢のメーカーが売り出している「もずく」を買ってきました。
味付けもずくのカップ入りが三個くっついているのです。
もずくも今、ひそかにブームのようです。
なかなか美味しい。

こんなことに、ささやかにホッとしたりして・・・

海の“もずく”になってしまいたい・・・・・
おっと、違った、
海の“もくず”となってしまいたい・・・・・

「私は貝になりたい」と言った人もいたっけ。

2003/02/14 (金)  晴れ





二月は28日まで。今日は、ちょうど半分。
毎年のことながら、一月二月三月は、日数を数える間もなく過ぎて行く。
うかうかと暮らしていることに、ふと不安を感じたりしながら、
また、「これが人生さ」と開き直ったりしながら。

オーバーコートを引っ掛けなくても外を歩ける天候になった。
古来、さまざまな歌に歌われてきたように
「光溢れる季節、春!」

何かいいことありそうな、何かいいことあるといいな。

2003/02/12 (水)  曇り  寒い





ここに小さな記事があります。
わが国で初めて、実測の日本地図を作った伊能忠敬に関するものです。

彼の生涯は、井上ひさし:著 「四千万歩の男」  (講談社文庫) で、詳しく知ることが出来ます。

注目したいのは、彼の実測行脚は55歳から始まったということです。
没年が73歳。後半生20年間で、後の世に名を残す大事業を為したのです。
彼自身は、自ら手がけた日本地図の完成を見ることはありませんでした。

「思い立ったが吉日」
何を始めるにも、決して遅すぎるということは無い。
その、明らかな例を示してはいないでしょうか?
たとえ、結果を見ることは無くとも、必ず受け継ぐものが続きます。

小さな記事ですが、
その意味するところは大きいと思いませんか?

2003/02/11 ()  曇り  ときどき小雨  建国記念日





岡山県で行方不明になっていた姉妹二名が凍死して発見された。
おばあちゃんのお葬式に長野県からやって来て遭遇した災難だったという話。

祖母宅から1キロ弱の距離で発見されている。
若い両親には何とも残酷な結果となった。

そう言えば、何年も前に見た行方不明者を探すというテレビ番組で、
同じように両親の実家に遊びに来て、目の前の道路からいなくなった子どもの話を思い出した。

これがもし、道に迷ってさ迷ったのだとしたら・・・
なじみの薄い土地だとは言え、歩いてきた方角に勘が働かなかったのだろうか?
それは多分、動物的な感覚だと思うのだけれど、
最近の人たちが、大部分を失ってしまったのかもしれない感覚ではないだろうか?

昔、野山を駆け巡っていたころ、目印を覚えながら初めての場所を探索して遊んだ覚えがある。
もちろん山の中にも分け入った。
この道のこの辺りにはこういう石があって、この辺りにはこんな特徴の木があって、
ここで立ち止まると、あっち方面にどういう風景が見えて・・・
ドキドキしながらも、足は先へ先へと進んだ。
親からは、山の中は決して安全ではないから子どもだけで入らないようにという話も聞かされていた。
それだけに、無事、目に馴染んだ風景の場所に戻りつくとホッと安堵の胸を撫で下ろしたものだった。

そんな話を親にしようものなら、大目玉間違いなし。
しかし、今思うと、そうやって野生の勘を身に付けたのだと思う。

今回の不幸に何らかの犯罪性があるのであれば、話は別なのだけれど、
テレビのニュースを見ながら、ふと、そんなことを考えてしまった。

幼い二人の冥福を、心から祈っています。

2003/02/10 (月)  曇り





テレビドラマ「GOOD LUCK!!」を観ながら、
そう言えば、スチュアデス(エア・ホステス)に憧れたこともあったっけ、と思っていた。
わが身の現実を忘れて、これからでも目指してみたいような気持ちにさせられる。
さっそうと空港を歩く姿、甲斐甲斐しく乗客に気を配る仕事ぶり・・・
やってみたいなぁ〜、と。

タイミングよく、著名な指揮者:岩城宏之さんのインタビュー記事の言葉が目に付いた。

***************

一番忙しかったころは年に100回近くも演奏会に出た。
今も年間70〜80回。
大病以来、激しく指揮棒を振るのはやめ、首を痛めないようにしてきたが、
このごろ考えが少し変わってきたという。

「また痛めたっていいや。また暴れてやれ、と」

最近、若き日の自分が指揮する姿を40年ぶりでビデオで見て、ショックを受けたのだ。

「若気の至りであきれたんだけど。無駄なこともいっぱいしていて。
だけど、昔の僕は全身の細胞でバーンとやっていた。
それを見て、焼きもちを焼いてね。今それに挑戦して、暴れています」

70歳のマエストロは、音楽監督を務めるオーケストラ・アンサンブル金沢で、
ハイドンの全交響曲を演奏する計画も話す。

やりたいことはたくさんある。
「いまだに僕は『大きくなったら何になりたい』とかと思う」
その若い心がステキだ。

(毎日新聞:日曜くらぶ「こだわる」より・・・清水靖子/文)

***************

私だって、
これからスチュアデスに『なってみたい』と思うのもアリなんだ・・・
(って、ちょっと厚かましすぎるかな?ふふ)
夢は大きく空に羽ばたかせて!!

実現するか否かではなくて、夢を抱くこと自体が大切なんだもの。

2003/02/09 ()  晴れ  暖かい





テレビを見る時間はバカにならない。
あっという間に数時間を費やしている。
と言いながら、今年に入って日曜日に見る番組が決まってしまった。

NHK大河ドラマ「武蔵」とTBS「GOOD LUCK!!」は、見逃せなくなった。

「武蔵」に関しては、少々オーバー気味な演技が気になるけれど、
扱う素材の成り行きが気になってしまう。
宮元武蔵はどのようにして兵法「五輪書」の境地にまで達したのか?

「GOOD LUCK!!」に関しては、肩の力を抜いた(ように見える)木村拓哉の演技がとても好感。
久々に、仕事というものを真剣に考えさせるドラマだと思う。
(いい加減)でも何とかなった時代は終わり、
仕事に対する個人の姿勢が問われる時代だと思う。
(本当はいつの時代でもそうなんだろうけれど・・・)

おりしもテレビ放送開始50年だそうで、このところNHKでは記念番組を放送していた。
その中で、黒柳徹子さんが「テレビは社会を動かす力を持つようにもなれるのだから」と言われて、
そのつもりでこれまでテレビに関わってきた、という意味のことを語られた。

影響力の大きさから言えば、テレビが果たせる役割にも期待したい。
良い番組、考えさせられる番組が次々に登場するといいな。

2003/02/08 ()  薄曇り





〜〜〜〜〜〜〜
じゃあ、それぞれの人がそれぞれに『私のものさし』を主張し合えば、
どこまでも平行線で、社会は険悪になるのではないか?

そこで、相手の『ものさし』をむげにへし折らないという
柔軟かつ寛容な思考態度が必要になってくると思うのです。

・・・よく見聞きし、わかり、忘れ・・・なければ、
周囲の事象からの学びで自分を育て、『ものさし』の長さを伸ばしていける。
ゆとりのある『ものさし』を持てば、
より広い範囲の多くのことを理解して許容していけるようにはならないだろうか?

大事なことは、他人からの借り物の『ものさし』を何本も持つのではなく、
基本となる独自の、揺るがない『ものさし』の構築のような気がするのです。

まずは、「私は何者?何をどう考える者?」という問いかけから、
一生を通して照らし合わせることのできる『ものさし』の構築は始まると思います。
〜〜〜〜〜〜〜

どうも誤解を受け易いかな?という日常生活の自覚から、
「他人の粘土細工に口出しや批判をするのではなく、自分という粘土細工をいじりたい」
そんなことを考えています。

自分を棚に上げて(他者批難)をするのではなく、
常に(自省と感謝)の気持ちを忘れないように、
そう自分を戒める日々ですが・・・

2003/02/07 (金)  晴れ





〜〜〜〜〜〜〜
価値観を他人に依存すると、自分の行動に統一性が保てなくなります。
すると、精神に不安定をきたし、常に周囲の顔色を窺いながらでないと、
ものごとの決断ができなくなるのです。

およそ、人間の生き方に『標準』のものさしはありません。
それぞれの個人が、他を害さないという基本の上に、
『自分のものさし』を持つしかないのです。

その『私のものさし』を確立するために、
宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の一節にあるように、
・・・あらゆることを よく見聞きし わかり そして忘れず・・・
という生活態度でいなくてはならないのでしょう。
〜〜〜〜〜〜〜

道を歩きながら、車を運転しながら、台所に立ちながら、
「ああでもない、こうでもない」と考えるのは、私の性分です。

2003/02/06 (木)  晴れ





今日、何度か耳についたニュース。
富士山の樹海・青木が原で見つかった自殺者の数と保護された人の数。
樹海に迷い込むと後戻りできないと聞いている。

死者に対して語る言葉も思い浮かばない。
ただ、「あゝ、やはり、そんな世の中なのか」と、無気力に思うだけ。
この無力感は、ひとり、私だけではないだろう。

行く手に希望を持てなくなると、人は生きることを止めてしまうことがある。
が、その時、本当に“光”は一切ないのだろうか?
自ら目を閉じ、微かながらも差し込む光を、あえて見ないでいるのではないだろうか?

“光”は、満遍なくあたりに満ちるもの。
たとえいっとき闇の夜が来ようとも、“光”が無くなったわけではない。
じっと待てば、日はまた昇り、“光”はよみがえる。

何を苦痛とし、何に絶望して死を選ぶのか?

「右でだめなら左がある」「上がだめなら下がある」「押してだめなら引いてみる」「動いてだめならじっとしている」
ああしてこうして、あれもやってこれもやって・・・

自ら耳目を閉ざしてしまった人には、そんな言葉も、きっと、届かない。
今あえて命を絶たずとも、いつかは消えていく命なのに。

それにしても、人を生かさぬ社会の現状であることよ。

2003/02/05 (水)  晴れ  夜半 みぞれまじりの雨





日本時間の午前三時(現地時間正午)に行われたという、
コロンビア号乗組員7名の追悼集会の模様を今朝のテレビで見た。
カメラに映し出される遺族の中には、まだ幼い子どもたちの姿が。

もう40年も前のことになってしまったけれど、
初めて見た衛星中継の画像は、ケネディ大統領の葬儀の模様だった。
アーリントン墓地に埋葬される父の棺に、
小さな手で敬礼するケネディ.Jrの姿は、全世界の涙をさそった。

今、世界中が不安の目で成り行きを見守っているのは、一触即発の“戦争の危機”。

昔、“キューバ危機”と呼ばれる危うい状況があった。
その危機を回避するためのケネディの苦悩を追った番組や雑誌レポートを何度か見たことがある。

印象的に目に焼き付いているのは、大統領執務室の窓辺に立って物思いするケネディの背中。
世界の平和を守るための責任と決断を一身に背負った孤独な背中だと思った。
と同時に、頼りがいのある温もりを感じる背中にも思えた。

今、世界の指導者たちの背中は、どんな風に見えるだろうか。

2003/02/04 (火)  曇り  一時小雪  立春





朝から冷え込んで、正午近くにはチラホラと小雪が舞っていた。
(寒いなぁ)と思いながらも、それでも今日は暦の上では立春。

今日は、久しぶりに夜の東京で会合。
千代田線を湯島で降りて地上へ。
目的のお店へ急ぐ途中に小さな美容院。
道路に近い席に、和服姿の小粋な女性が座っている。
髪をセットし終え、これからご出勤の様子。
どこのお店のママさんか、といった風情。

湯島と言えば「婦系図 湯島の白梅」
「別れろ切れろは芸者のときに言う言葉、今のつたには、いっそ死ねと・・・」という名セリフ。
粋な和服の女性から、そんなことを連想させる街ではある。

2003/02/03 (月)  晴れ   節分





今、NHKでは、テレビ放送開始50年の記念番組を毎日放送している。
懐かしい昔の番組が次々に放送されている。

毎日新聞の日曜版に、こんな一文があった。
かつて人気番組だった「連想ゲーム」に関して。
「連想ゲーム」は、キャプテンの出す言葉によるヒントで、答えを連想するゲーム。
それらのヒントは、同意語であったり同音語であったり、
似たような意味合いの言葉や似た音の言葉であったりした。
日本語の多様な面を利用した言葉の遊びだった。

そこで、くだんの新聞の記事は・・・

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評論家の小林秀雄が71年11月号の「新潮」の鼎談の中で連想ゲームに触れて語っている。
「ああいうゲームは外国語では出来ないだろうと思うのです。
みんな日本語というものの驚くべき伝統的宝庫を背負って、
それを自分では気づかず、ゲームを進行させているわけだ。
ああいうものを見ていると悲観しなくてもいいという感じだな」
(小林秀雄対談集「歴史について」文春文庫収録)

そういう番組を持っていない現在は、不幸な時代なのかもしれない。【大川勇】

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となっている。
考えさせられた一文だった。

2003/02/02 ()  薄曇り





昨夜、日本時間で午後11時ごろ、アメリカのスペースシャトル「コロンビア」が帰還間近にして消息を絶った。
基地に帰還予定時間まで、あと15−6分だったという。

今朝の報道では、「コロンビア」の機体には、打ち上げ前に不安があったらしい。
以前、発射直後に爆発した「チャレンジャー」の時にも、同じような不安があったと聞く。

針の先ほどのミスも、致命的な大事故に直結する宇宙飛行は、
まだまだ、リスクの高い実験段階に過ぎない、ということか。

人は失敗から学び、新しい発見や改良を重ねて技術や知識を積み重ねてきた。
その「学びの力」が、最近とみに弱くなっているのではないだろうか?
こうした最先端の宇宙事業にも、度重なることによる油断はなかっただろうか?

神ならぬ身の人間のすることに完璧はない。
漫画に描かれるような、奇跡の救出、復活はない。
炎に包まれ、大気に投げ出された体を、不思議な力のシャボン玉が包み込み、救い出してくれることはあり得ない。

原因の究明はこれから為されるのだろう。

危険を承知の宇宙飛行の任務につき、その使命に殉じた飛行士たちの冥福を祈りたい。

2003/02/01 ()  晴れ





地元学(という確立した学問分野があるわけではないらしいが)を推奨する
水俣市役所の吉本哲郎さんという人の話は面白い。
地元を活性化させる為に、新しいものやことを取り入れようと考えるのではなく、
そこにあるものやことを見直し、維持、保存することで地元の力を確実にして行こうとする考え方。
いわく「ないものねだりから、あるもの探しへ」だそうだ。

その発想は、仙台の民俗研究家:結城登美雄さんという人と共通するという。

結城さんが唱える「よい地域の条件」というのがいい

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海、山、川などの豊かな自然があること。
いい習慣があること。
いい仕事があること。
少しのお金で笑って暮らせる生活技術を教えてくれる学びの場があること。
住んでいて気持ちがいいこと。
自分のことを思ってくれる友達が三人はいること。

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地元学を考える上で、吉本哲郎さんが重要視しているという三つの経済
1.都会を支配する貨幣経済
2.住民みんなで経営する銭湯や農作物の物々交換のような共同の経済
3.家庭菜園のような自給自足の経済

貨幣価値のみに頼る経済だけではない地元の経済活動こそ、
地域をよみがえらせ、住民に心豊かな地域生活をもたらすのでは、と提案している。

お二人の発想は、地方だけに言えることではなく、
いまや、日本全体、どの地域でも考えてみたいことのような気がする。

「ないものねだりから、あるもの探しへ」
日々の暮らし方にも言えそうだ。