2002/08/31 (土)  晴れ





別に意図したわけではないのに関連した出来事が身の回りに重なることがある。
先日、図書館から「秘すれば花」の本を借りて読んだことと、今日の能・狂言の鑑賞もそのひとつ。

「花伝書」は能の一派である観世流の秘伝書。
そこには、能を演ずる者としての心構えを世阿弥が父親の観阿弥から教え伝えられたことを書としてまとめている。

「『花』とはどういったことを言うのでしょうか?」
という世阿弥の問いに、観阿弥は定かな答えを示さない。
ただ、能を演ずる上での心構えを述べ聞かせ、稽古に精進し会得実感せよと言っているようだ。

そんな中で心に残る部分は
「(観客が観て)珍しきこと、おもしろきことこそ花である」
と言っている部分である。

いくら能を演ずることに長けていようとも、観る人や時・場所をわきまえず同じように演ずればいつかは飽きられてしまう。
それは、たとえ良いものやことであっても状況をわきまえずにひけらかすだけではいけない、ということ。
貴人を前にしてはそのように、庶民を前にしてはこのように
変幻自在の応用が利いてこそ真の上手と言える、と。

その為には、慢心することなく上手から習うことはもちろん下手からも学んで、常に自らの感性を磨けと言う。


今、社会の上層と言われる立場にある人たちの不祥事が相次ぎ、民意は汲み取られないという現実がある。
ある種の学歴を経た人が世間が羨む職に就く。
彼らにとって努力はそこで完結してしまってはいないだろうか?
すなわち、自分は人より優れているという(慢心)である。

「風姿花伝」が単なる能という芸能の奥義書にとどまらず読まれるのは
今に活かせる「生き方の姿勢」に応用できる内容が著されているからのような気がする。


というより、すべからく人間の為すことの上手になる為に重要なことは、ジャンルを問わず共通であるということか。

2002/08/30 (金)  晴れ





この一週間、厳しい残暑。


昨日の新聞を読んで、ため息が出てしまった。

2004年の次期公的年金制度改正で、
60歳を過ぎても働く人には退職後の年金が有利になるように制度を変える方針だと言う。
少子化で年金原資が先細りすることを考慮しての案らしい。

2004年の改正で実施がその後に来れば、新しい制度の適用を受けるのは団塊の世代になるだろう。

戦争が終わってどっと生まれた世代は、一生懸命働いて年金制度を支えてきた。
いずれは自分たちもその恩恵にあずかる事を信じながら。
今や事態は変わり、それは叶わない夢になるかもしれないと、最近では多くの人が感じ始めている。

そこに、この発表である。

が、しかし、よおく考えてみるとこの話には素直に承服できない。

確かにシニア団塊世代は働いてきたし、これからも必要と健康さえあれば働くことにやぶさかではない。
人数が多すぎて、半分に仕切った教室やプレハブに押し込められた学校時代から、我慢することには慣れているから。

ただ、押し付けやすい世代に、不利な政策を押し付けられているようで何となくスッキリしない。

本当は、これから国を担う若い世代が活き活きと働ける労働環境の整備が先決のような気がするのだが、
その問題への有効な政策発表はない。

国の借金が返済不能な額になっているという。
取りやすいところからお金を集める、そんなやり方が目立つような気がしてならない。

根本的な政策の不在。
ツギあてのパッチワークのような政治。

自分もいいかげん年配になってきたから言えることだけれど、
年寄りに鞭打っても思うようには走れないのですが、おわかりでしょうか?
国の中枢にいらっしゃる偉い方々は・・・

2002/08/29 (木)  晴れ





家の中に一人でいると、新聞の番組欄に目を通してテレビをつけることがある。
別に、どうしても見たい番組があるわけではなく
誰かの声が聞きたいだけなのかもしれない。

郷里にいた時にはチャンネルの数は限られていて、見る番組を決めるにも迷いは少なかった。
首都圏に住み始めて、全ての放送局が受信できるようになり選択の幅が広がった。
それにしても、ひところに比べると「これはどうしても見逃せない」「この番組だけは毎週見よう」などと執着する番組は減った。

大事な家具のように扱われた時代もあったテレビ。
見知らぬ文化に触れさせてくれる玉手箱のようだったテレビ。
あの頃は、どんな番組を見ても珍しくて楽しかった。

年々、テレビから距離を置くようになっている。
なぜだろう?

2002/08/28 (水)  晴れ





27年間、水の汚れでは日本一の座を守り(?)続けてきた我らの手賀沼が、その座を下りたらしい。
少なくともワースト2位以下になることは間違いない、という発表。

ここまでになったのは、関係者の知恵と努力の賜物に違いない。

思えばこの地に引っ越して間もなく、手賀沼が日本一汚染されていることを知った。
それからというもの、折に触れ浄化の取り組みを見聞きしてきた。
そのひとつには、水をきれいにする(ホテイアオイ)の栽培もあった。
周辺住民にせっけんを使うように呼びかけていた時期もあった。
生活排水を集めて沼に流れ込む川の整備も為されていた。

あの手この手で苦労して、やっと不名誉な一位の座を下りるまでの成果があがったのだ。
人口が増え続ける周辺地域を抱えながら、状況を好転させた関係者の努力に拍手を惜しまない。
こうして絶望的に汚れた沼でさえ甦らせることができる。

暗いニュースが多い中、地域限定だけれど、ちょっと嬉しいニュース。

「やればできるジャン!」

2002/08/26 (月)  晴れ





学校の先生が企業で研修する機会が増えているそうだ。

その目的は、
「サービス業の現場から、サービスとしての教育の姿勢を学ぶ」とか
「合理的かつシビアな民間企業の経営を、学級経営に生かす」とか、だそうだ。

私は思う、そんなことの前に企業研修で理解して欲しいのは、
学校に通ってくる子供たちの保護者が、社会の中でどんな思いを抱きながら働いているのか
それを、身をもって体験することを第一の目標にして欲しい。

その為には、研修に参加する時には、現役の教師であるという身分を明かさず
全くの素人として各企業の現場に赴いてみて欲しい。

受け入れ側の職場に、研修生が教師であることが分かっていれば、その体験効果も割り引いて考えなければならない。
実際の社会現場の実情を身をもって知ろうとすれば、まずは教師として社会的に保障された立場を離れなければ、真実は伝わらないと思う。

私が何故そう思うのかと言うと、
学校に通ってくる子供は、良くも悪くも社会の全てを背負って教室に座るものだから、と考えるからである。

親が、リストラにあいそうだ、離婚しそうだ。家庭内にDVがある、職場で辛い立場にある、等など・・・
そんな親の事情が子供に影響しないはずはない。
その辺りの社会的な感覚を身をもって体験すれば、教師と保護者とのコミュニケーションも深まるかもしれない。

そんな期待を抱いている。
この国の未来の為に。

2002/08/25 (日)  晴れ





「水清ければ魚住まず」という諺がある。
もとは、真面目も度が過ぎると、ひとが敬遠するという意味だが
これを、集団で(少し後ろめたいこと)をする時に引用する人がいる。

確かに、コンクリートで川底も土手も固めた水路には魚は繁殖しない。
そういう川に、もし、何の汚れもない水を流したとしても魚は一切寄り付かないに違いない。
「水清ければ魚住まず」というのは、そういう意味だと思う。
決して、濁り水ほど魚は好む、というわけではないと思いたい。

現に、清流に魚は透き通るような綺麗な身体をして数多く泳いでいる。
底の砂が見えるような海では色とりどりの魚が遊んでいる。

それらの川や海には、苔や藻や水草・海草があり底砂や石があって水を浄化したりプランクトンをたくわえたりしている。
酸素がたっぷり供給され餌も豊富、そうした水に魚は棲むということだと思う。

間違っても、ドロドロのヘドロが沈殿したような悪臭を放つ水を魚が好むと意味しているのではない。
そういう泥水に棲む魚は、水に似合った色合いで、釣り上げると鱗が汚れていたり汚水の匂いが染み付いていたりする。

が、悪いことをする者ほどこの諺を引き合いに出したがる。
この諺を引用するにあたっては、適用することがらが
自然が受け入れる苔や藻や水草・海草のようなことがらであるか、
自然が受け入れ難い雑排水・汚水のようなことがらであるか
よくよく考えてからにしたほうが良さそうだ。

今、この国に脈々と流れてきた歴史の川はどんな様相をしているのだろう。

2002/08/24 (土)  曇り






漫然とを聴いていれば(ただの音)でしかない演奏もあるが、
奏者によっては思わず身を乗り出し耳を傾けたくなる音楽となる。

フジテレビで「五嶋龍のオデッセイZ」という番組を見た。
彼は、ヴァイオリニストとして活躍している五嶋みどりさんの弟くん、14歳。
7歳のデビューから毎年一回、彼の成長記録を放送しているのだそうだ。

日本でのコンサート会場で、観客から出された質問
「毎日の受験勉強やヴァイオリンのレッスンから逃げたいと思うことは?」
彼の答え
「思う暇もないくらい忙しくて、後で考えてみると『ああ、あの時逃げ出したかったのかなぁ』と思うこともあります」
(彼は昨年高校受験生だった)
A.「投げ出したいと思ったことはありますか?」
Q.「投げ出しても何も変わらないから、それなら投げ出さないで続けた方がいいかな、と・・・」

天才は一日にしてならず。
ここにもたゆまぬ努力と意志を持ち続けて『何者か』に成長しようとしている才能がある。

彼のヴァイオリンから流れる音色は既に単なる音ではなく、声となって語り始めているように思った。

素晴らしい!と思える人や事や物に出会うのは、いつも楽しい。

2002/08/23  (金)  曇り のち 雨





何年か前からそれがあることは知っていた。
柏そごうの一階奥の方に、あの衣料品ブランドのコム・サ・デ・モードが喫茶店をやっている。
『カフェ・コム・サ』

今日、人と待ち合わせのために久しぶりに「そごう」の一階をぶらついてみた。

その喫茶店には常時女性客が出入りしていた。
コム・サ・デ・モードの服が並ぶその奥に、まさか喫茶店があろうとは思えないようなコーナー。
そこの入り口にケーキ・ケースがあった。

さすがにファッションメーカーが作るケーキだけのことはあると感心。
見た目の楽しさもさることながら、タップリ乗っかった果物の量!
なるほど、これは女性を虜にするだけのことはある。

プルーベリータルトなんか、大粒のブルーベリーが20個くらい乗っかっている。
目を引いたのはイチジクのタルト。
値段は一切れ600円。

しかし、しかし、ちょっと待てよ・・・
このケーキをタップリ食べて、このブランドの洋服をスッキリスタイル良く着こなすのは・・・
無理かもしれない。

と、バカなことを考えながら、ケーキに後ろ髪を引かれながら、その場を立ち去った。

でもこんど一度食べてみようっと。

2002/08/22 (木)  晴れ





狂ってる!
ねえ、何かおかしくない?
みんな、住みにくさを感じない?
なぜなんだろう?

知り合い同士で目と目が合っても微笑まない。
ちょっとした軽口が冗談として通じない。
日常会話に込めた気持ちがすれ違う。
強い者には気を遣い、弱い者からは目を逸らす。

ぜったいにおかしいよねえ・・・

でも、こんなこと声高に言っても、だ〜れも大っぴらには頷かないだろうなあ。
みんな余裕を無くしているみたいだもの。

ある漫才コンビの決めのセリフではないけれど、
「責任者、出てこーい!」


とうとう女性の通り魔事件まで発生してしまった。

2002/08/21 (水)  晴れ





人の一生の折々には、その時期をイメージさせる代名詞がある。
「青春」、「朱夏」、「白秋」、「玄冬」
「思春期」「思秋期」

夏の終わりの風にふかれながら
「思秋期だな・・・」と突然思った。
「朱夏」と呼ばれる年代を過ぎ「白秋」にさしかかっている。

めったなことでは気持ちを荒立てなくなった。
もはや、ときめくことすら無いかも知れない。

不思議なことだけれど、寂しくはない。
むしろ、この無聊(ぶりょう)の時を慈しんでいる。
「よくぞここまで生きてきた」と、自らを労わりたい気持ちが溢れる。

戦後の貧しく慎ましやかな社会から、
次第に盛り上がる経済社会を通過して
今また新たな局面を迎えているこの国で、
私は、生きている。

明日はどんな風がふくのだろうか。

2002/08/19 (月)  雨 のち 曇り





朝早くと正午前に激しい雨。台風13号の影響。
つい先日までの暑さが信じられないくらいに気温が下がって過ごしやすい。
40日前後、真夏日が続いたそうだ。
耐えるにも限界がきていた。

ヨーロッパでは各地で大洪水らしい。
EU加盟国で対策会議が開かれているようだ。

明日は再び真夏日らしい。
もういいよ・・・

2002/08/18 (日)  曇り 夕方 小雨





年をとると口数が少なくなるし話し方もゆっくりとしてくる
ずっと、そう感じていた。

若かった私は、年寄りが質問に明快な答えを返してくれないことや、モタモタとした話し振りに苛立ったこともしばしばだった。
「それは、解っていても教えてくれない年寄りの意地悪なのか?」と思ったこともある。

実は、それらが大いなる誤解であったと、最近になって理解できるようになった。
理解できるようになって気が付いてみると、
自分自身が、口はもどかしくなり、他人の問いかけに迂闊な返事ができないことを思い知る年齢になっていた。

一昨日、映画を見る前に時間の余裕があったので喫茶店に入った。
しばらくすると30代とおぼしき女性と70代かと思われる婦人の二人連れが隣の席にやって来た。
お姉さんは道々の話の続きを声高にしゃべりまくっている。
どうやら親戚か家族への不満らしい。
ばあちゃんは母親かおばさんか、身内の人らしい。

話の詳細はわからないが、切れ切れに聞こえる声で不満と非難であることがわかる。
まくしたてるお姉さんに対してばあちゃんの声は一向に聞こえてこない。
もっぱら聞き役に徹しているらしい。

お姉さんの話に出て来る人物は年寄りらしい。
「あれもしない。これもしない。できないんじゃなくて、やろうとしないだけだよ!」らしきことを言っている。

そんな二人の様子を横に感じながら、いろいろなことを考えた。

お姉さんはまだ若い。体も動くだろうし、これからできることもおおいだろう。
その感覚からすれば、年寄りのことがいちいち癇に障るのだろう。

ばあちゃんは、お姉さんの苛立ちも、話に出て来る年寄りのこともわかるのだろう。
解ればこそ、どんな返事もできない。結果、黙って聞くしか為す術はないのだろう。

このお姉さんが非情な人間かというと、そうではないと思う。
彼女は、親戚の年寄りが困ればきっと手を貸す人だろう。
そうでなくては、これほど懸命に親戚の話題に興奮はしないし、ばあちゃんと喫茶店に入りはしないだろう。
げんに、注文する時には優しくばあちゃんの面倒をみていた。


経験しなければ何とでも批判非難できることも、経験してしまうと簡単に口が開けなくなることがある。
長年生きていると経験が積み重なり、その結果、年寄りは口が重くなる。

そういうことだったんだ・・・と気が付いた私は、もう若くはない。

2002/08/17 (土)  曇り





大声で怒鳴るのも、たまにはいい。
とは言え、日常生活で怒鳴っていては(ただの変な人)でしかない。
その意味で、スポーツ観戦は格好の怒鳴り場所。

久しぶりにサッカーを観に行った。

「やったぁー!」「行け、行け、今だ!」「あ〜ああっ!入っちゃたよー」
手を叩き、足踏みし、万歳して、ガックリする。

あ〜あ、スッキリした。

2002/08/16 (金)  曇り




14日に書いた子猫のうち、三毛の子。



この子は、親猫から距離を置いた場所で過ごすことが多いらしい。
今日は、黒っぽい子猫の姿が見えなかった。
白っぽい子猫は、母猫に寄り添って昼寝をしていた。

猫を写すのは難しい。

2002/08/15 (木)  晴れ  一時風きつめ





57回目の終戦記念日。

折々に亡夫の墓参りをしてくれる義兄。
今年のお盆の墓参り延期の電話をくれた時、
「15日には靖国神社にお参りする予定だから」と言う。

70歳の齢に達する義兄は、終戦の時には中学生。
勤労動員で岩国市の軍需工場で働いていたと、会うごとに語る。
広島に原爆が投下された日も、その工場にいたと聞く。
閃光と爆風、そして終戦。
多感な年頃だった義兄にとって、それは忘れようにも忘れ得ぬ記憶に違いない。

靖国神社に対する論議はさまざまある。
しかし、そこに気持ちの拠りどころを置く人たちが、
つつましく暮らす私たちの身近な場所に存在することは
忘れてはならない。

この国も、かつて戦争をしたのであり、
その為に徴兵されて一命を落とした幾万の人がいて、
その人たちを本意ならずも送り出し、遺された人々がいて、
そして、悲しみは癒えることなく続いていることを忘れてはならない。

うかうかと過ぎ行く日々に、引き戻さねばならない記憶があるとすれば、
戦争体験者の記憶は重要な位置を占めるだろう。

戦争体験という経験の遺産を受け継ぐために、
残された時間は少ない。

2002/08/14 (水)  晴れ





お盆休みでひっそりとしている職場に用事があって出向いた。
自転車置き場の横を通ると、ササッと動く物影が・・・
顔見知りのいつもの猫だった。

職場に住み着いている猫一族、ノラ1、ノラ2、ノラ3の内の3番目。
私と一番親しいのはノラ2。
ノラ3はまだ若いのか、これまで多少の警戒心を見せていた。

動いた物影は、そのノラ3。
彼女の後ろから小さな物影が音もなくくっついて動いた。
よく見ると子猫が三匹。

「ニャ〜、ニャ、ニャー(あんた、子供ができたんだ〜)」
「・・・・・・」
「ニャ、ニャ、ニャ〜(ねえ、ねえ、見せてよ)」
「・・・・・」
「ニャ〜ン、ニャン、ニャ(子猫ちゃん、こっちへおいで)」

ノラ3は、私から1メートルくらい離れた場所にうずくまった。
その周りで三匹の子猫が、好奇心いっぱいのつぶらな瞳をこちらに向けている。

三毛の子はしばらくすると他の遊びを始めた。
白と黄土色の淡い色合いの子猫はチョロチョロと動きながら、こちらに興味を示している。
黒とこげ茶色の濃い色合いの子猫はブロックの陰から顔だけ覗かせて、じっとこちらを見ている。
母猫は、じっとしてはいるけれど、その目は私のほうを見ている。

知り合い猫とのしばしの交流。

2002/08/13 (火)  晴れ





いつの頃からか預金通帳に登録印を載せない金融機関が出てきたことに気づいていた。
今日のニュースでは、これからはどの金融機関も犯罪防止の為に登録印の記載は廃止の方向だと報じている。
それを手にすることによって、別人が別人になり済ませる道具になる印鑑とは、はなはだ頼りない信用性ではある。

先日利用した銀行では
あらかじめ登録した印影をパソコンに入力してあるようで、
客が差し出した印鑑との照合は銀行員がカウンターの向こうでやっていた。
それとても万全な処置にはならない。

全ては“信用”の土台の上に運用されているに過ぎない。

では、本人と確実に証明できる手段とは?
自筆署名か指紋登録か?
個人識別番号か磁気カードか?

折りしも(住民基本台帳ネットワークシステム)が着手したばかり。

個人の安全を確保する為のシステムの整備は難問。

2002/08/12 (月) 晴れ うす雲広がる空





胸の内のブラックホールに気づいたのは、小学校高学年の時。
多感と言われる思春期に、それは頻繁に存在をアピールしてきた。
何がきっかけになるわけでもなく、フッと手の施しようもないほどの虚無感と共に現れていた。

しばらく忘れていたそのブラックホールが、最近もぞもぞと自己主張をしたがる。
おそらく、感情の起伏を伴うと言われる更年期のせいもあるだろう。

こころの中の深い闇。
それは、この世に生まれ出ずる故の避けられぬ哀しみの闇かもしれない。

人は、うぶ声をあげる前にどなたかに言い聞かされ覚悟させられたのかもしれない。
「ひとたび、肉体とその皮に包まれた精神をもって誕生したからには“常に一人”と思い知れ」と。

そのことから目を逸らせば、孤独は耐えられないものとなり
そのことを周辺視野から外さないように前を見て生きていけば、
孤独も、受け入れ難いものではないような気がする。

この世界は“常に一人”の人間の集まり。
「群れ」を頼むのは大きな勘違い。

いがみ合うこともあるまいに・・・

2002/08/11 (日)  晴れ





所用で東京に出かける。
上野の森を久しぶりに歩いてみると、青空生活者の数が以前に比べると増えているように感じた。
しかも、青空生活者といえども、以前はそれなりに小奇麗にしていたような印象だったのに
少しばかり「荒み」が目立つように感じたのは思い過ごしだろうか?

何事にも達人はいる。
路上生活にしても、長年それに徹すればそれなりの生活感覚が生じるはずである。
それが乱れるとしたら、昨日今日の新参の生活者によるものかもしれない。

安定を欠いて久しいこの国の現状と行く末が脳裏をかすめた。

2002/08/09 (金)  晴れ(宮城・蔵王、千葉・柏 )





午前5時、蔵王到着。5時半よりレストハウスから山頂目指して歩く。
肌寒いくらいの空気。あたりは樹木などなく、だだっ広い石ころだらけの斜面を登る。
高度はバスで稼いであるので、頂上まではほぼ一時間の行程。
山頂から見下ろす向こう側は山形県。こちら側は宮城県。

お釜の景色とくっきり姿を見せる断層に自然の仕業の大きさ不思議さを思う。

昔から蔵王はスキー場として名高い。
中部地方のスキー場を何ヶ所か、夏場に登ったことはあるけれど
蔵王の広さを目の当たりにすると、さすが古くからスキー場として名を馳せただけのことはある、と妙に感心する。

午前中早めの登山で、涼しいうちに下山。正午前には昼食も済んでいた。

東京ー宮城間、高速道を使っても4−5時間となると、日帰り山行は慌しい。
都内に近づくと途端に渋滞が始まる。
帰着場所である東京駅前に至るルートが予定変更されたお陰で、
帰宅に便利な西日暮里から電車に乗れたことはラッキーだった。

山では何でもないザックの重さを、都内通過の時には重く感じるのだから
何事も気分の持ちよう次第ということかな?

2002/08/08 (木)  立秋  晴れ  





「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」
どころの騒ぎではない暑さの立秋。
それでも日中にかすかな風があるだけでも、日陰はまし。

今年の夏はこんがりとしっかり日焼けしている。
気が付くと顔には脂がベットリと・・・
この状態は、食材に油を塗ってオーブンでこんがり焼き色をつけるのと同じ状態と言える。

物が食べ物なら、焦げておいしいとも言えるのだけれど
私が焼けて焦げ色ついたって、美味しくとも何ともないわけで・・・

日焼け止めにも帽子のお世話にもならないから仕方がないが、
ああ、芯からじっくり焼けてるんだろうなぁ。

2002/08/07 (水)  晴れ





飽きもせずに続く猛暑と熱帯夜に、頭の中はとっくの昔に思考停止。
タップリ水を含んだスポンジ状態。
首の上に乗っかって、ただ重いだけ。
それだけで大人しくしているならまだしも、
ときどきズキズキと頭痛など起こして、生意気にも存在をアピールしてくれる。

今年の夏はいつになく厳しい!

2002/08/06 (火)  晴れ この夏一番の暑さと予報された日





う〜ん、暑い!

この暑さの中、生き物全てがゲンナリとしている。

植物は暑い日盛りにはグッタリと葉が萎(しお)れる。
これまで私はこの様子を見て、水不足で今にも枯れそうな状態だと思っていた。
ところが、先日の農業ボランティアで見学したカブ農家の方の話から、そうでもないことを知った。

露地栽培の植物は、明け方には葉がピンとしている。
これは、夜間に気温が下がることと夜露で湿り気を得ることによる。

一方、日中は水分が足りないかというと、どうもそうではないらしい。
日盛りで表面の土がカラカラに乾燥する時には、地下水が地表に向かって上ってくるらしいのである。
その為には、畑の下に水脈の有る無しが作付けに大きな影響を及ぼすという。
道理で、潅水などできそうもないだだっ広い畑にも炎暑の夏に野菜が育つわけだ、と納得した話。

葉がグッタリとして来るのは余計なエネルギーを使わない為の自衛の姿なのだろう、と思った。

鉢物やプランター植えなど、大地と切り離した環境で人為的に育てる植物にはそれなりの水遣りの手間がかかる。

上記の話は、自ら地面に種をこぼし芽生える雑草を見るとよく分かる話ではないだろうか。
大事に大事に育てた苗を植え付けた植物には、それなりの保護が欠かせない。
ところが、人の手が一切関与しない雑草のなんとたくましいことか!
この暑さの盛りにもへこたれない勢いで茂っている。
自然のサイクルの中で、全てを自らの手によって生の営みを全うしている。

自然同士が相呼応して生かしあう不思議さ。

2002/08/03 (土)  晴れ うっすらと雲ひろがる一日





昨日一昨日の雷雨以来、いきなり涼が来た。
過ごしやすい一日だった。

手賀沼花火大会。
7時ぴったりに「ドド〜ン!」とお腹の底に響き渡るような音とともに花火の開始。
一時間半の間、つぎつぎに大輪の花が夜空に咲いて散った。
少し早めに帰宅の途についた私の背で、ピタリと音が止んだ。
花火大会の終了。

地域の納涼会から始まって、市全体のお祭で賑わい、花火大会で夏の行事が一段落。
今は「祭りの後」

吹く風に多少の涼がしのびこむようになって、季節は秋に向かっている。

2002/08/02 (金)  晴れ 午後3:30〜5:20ごろ雷雨





「人生は舞台だ」と言われることがある。
そこで演じるシナリオは、しばしば手直しが必要になってくる。
筋書き通りには行かない人生の舞台だけれど、どのようなキャラクターを演じるかは自分次第。

そうした思いで見たとき、渥美清という人の生き方には惹かれるものがある。
本名田所康雄、芸名渥美清、生涯演じ続けた役名車寅次郎。
もうずいぶん昔のことになるが、彼の生き方に関して書いてあるものを読んでから
私は、それ以前に増して彼のことを魅力的に感じている。

先日図書館から「藝人という生き方 そして、死に方」 矢野誠一:著 という本を借りたのも
彼に関する記述があったから。

その本の中に、心に留まる部分があったので書き写しておきたい。
山田洋次原作、小野田勇脚本で1974年日生劇場で上演された「遥かなるわが町」の中で
芦田伸介扮する英文学教授がかつてのロンドンを引き合いに出して言うセリフだそうだ。

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「そこには幸福な市民達が暮らしていた。
彼らは感情豊かで、しかも秩序を守る人だった。
酒屋は酒飲みの健康を案じ、墓堀りは墓穴を掘るたびに泣いた。
靴屋ははきごこちのいい靴をつくり、パン屋はおいしいパンを焼いた。
彼らは自分の仕事を誇り、他人の仕事を尊んだ。
そして、お互いに信じ合っていた」

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なぜ「男はつらいよ」の主人公車寅次郎が愛されるのか?
彼の旅の意味するところは何なのか?
寅さんは、どんな町でどんな人間関係に安らぎを覚えていたのか?
そして、その役柄に徹した渥美清の生き方、田所康雄としての死に方・・・

住んで心地よい社会とは?
安堵できる人間関係とは?

そんなことを考えつづけている毎日。


2002/08/01 (木)  晴れ夜半雷雨





午後0:15〜2:15、二時間たっぷりシャンソンの世界に浸る。
第40回を迎えたパリ祭の模様をNHKBS放送で観る。

シャンソンは年齢を重ねれば重ねるほどに、歌に味わいが深まるし聴く側にとっても訴えるものが多くなる。
それにしてもフランス語はやはり、歌にふさわしい言語だと思う。
シャンソンを聴いていて感じるのは、間合いの大事さ。
歌詞を歌い上げている時よりも、ふっと訪れる沈黙の時間に「ジワーッ」とこみ上げてくるものがある。
この沈黙の間にどれくらいの人生模様が頭の中に浮かんでくるか・・・
それが歌に厚みを加え深みを増すのだと思う。
人生を長く生きているシャンソン歌手の歌が色褪せない理由。

田代美代子・・・懐かしい、久しぶり
戸川昌子・・・・・さすが!
高 英男・・・・・・今なお素敵
芦野 宏・・・・・・聴き入りました

そしてやはり石井好子さん。

しかし、考えてみると何人もの惜しい人たちがいなくなってしまわれたような・・・
聴けるうちに聴いておかなくてはと、改めて思った。

「天国と地獄」の歌と踊りの後で、間髪いれずに客席からかかった「ご苦労様!」の声が
司会者の永六輔さんに大受け。

終演後「それでは皆さんお元気で」との場内アナウンスに「うん、そうそう」と納得してしまった。